大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

「姥捨山(おばすてやま)で狸の餌食になりそうな見かけだが、口は新品の剃刀みてえなばあさんだな」

黙阿弥オペラ (新潮文庫)
井上ひさし黙阿弥オペラ (新潮文庫)』。
こまつ座の舞台は一度も観たことないが、戯曲には触れる。ゆるみがなく、みごとというほかない。
ト書が物語を俯瞰している。これは演者や読者にとって親切。さいしょに示されるのはつぎのとおり。

とき 嘉永六年(一八五三)師走から、明治十四年(一八八一)初冬まで。すなわち、狂言作者の二世河竹新七が芽の出ぬのに絶望して両国橋から身を投げようとした三十八歳師走から、その新七が自分に「黙阿彌」と阿彌号をつけて劇界からの引退を決意する六十六歳初冬までの二十八年間。


「火鉢に埋めてある炭団(たどん)の頭を火箸で叩いてみなせえ、赤いところが顔を出すからね。(五郎蔵に)出し台に煮物がある、ちっとは腹の足しになるだろう」
こういう、世間知と優しさが織りこまれた台詞がばんばんでてくるところが好い。共同体的なお節介のようで、ずっと冷めている。
みんなで捨て子を養育しようという話。それも単なる善意でなくて、株仲間として金をだしあい、あとで回収しようという名目つき。
いきなりそんな流れになるのではなくて、身投げしようというようなワケありあつまりだすところから。他人に説得されても

「死ぬな」と自分に言い聞かせて、「はい」と自分が聞き入れてくれるようなら、世の中に身投げなんぞありゃしません。

朝、起きてうがいをするたびに自分にこう釘を刺すのです、「焦ってはいけませんよ」


(……)


五郎蔵さん、わたしはこの十年間、毎朝、自分にそう言い聞かせてきました。けれども夜になると足が勝手に動いて、いつの間にか両国橋の欄干から暗い水面(みなも)に魅入っている。……とりわけ今夜は水面へ舞いおりて行く雪を見ているうちに、おのれの身体が宙に舞いあがるようなふしぎな心地になりまして、


小道具も有効に使う。舞台特有のおもしろさ。
実の子を手放した五郎蔵が、養い先に会いに行った。すると娘は「チャンが銭貰いと思われたら、あたい、つらいもの」と二度と来ぬよう科白するのだ。
〈おいらに似ねえ、いい子なんだ。別れしなに、袂から胡麻煎餅を出して、「お八つにもらった煎餅だけど、おたべ」〉
そんな五郎蔵の話を聞き、煎餅を手にした新七が〈この煎餅の一片には、わたしが忘れたままに放っておいた世間という名の銭地獄の光景がぎっしりと詰まっている。これはこの世の銭地獄を眺める遠眼鏡だ。そばに置いて狂言の筋立てを考えますよ。この煎餅からはきっと金(きん)が出ます〉

新七 (ちょっと考えて)この世は切ない世話場。エイこんなところはもうまっぴら、チャラチャラと小判の音もにぎやかなところで太く短く生きてやれと一気に別世界へ跳ぶ。これがわたしの筆の先から躍り出た、いわゆる小悪党たちでした。しかし、いくら高く跳んでみても、その別世界もまた切ないことばかり。つまり、人の世はいたるところが世話場なんです。それが人生の真実ならば、この世の世話場という世話場をありのまま生々しく写し出すしかない。こうして生世話物(きぜわもの)ができました。ご存じのように、これは見物衆からよろこばれました。どこへ跳んでもおなじなら、いまのまま辛抱することにも意味がある、見物衆はそう思って安心するわけです。

〈そういう世話場をありのまま生々しく写すとなれば、美しい役者はかえって不都合。美しくない役者が演じてこそ、舞台がこの世の写し絵になる〉


〈紀尾井坂 臆病者は廻り道〉


〈人の心と言葉、これはそうやすやすとは変わりませんよ。そしてその二つで芝居はできているんです。芝居がそうたやすく変わってたまるものですか〉
そう科白しても御一新により世のなかはどんどん変わる。もとめられる芸も変わる。……ほんとうに?

新七 お上の十八番の、「開けた芝居を書け。上流の方々の鑑賞にたえる芝居を書け」というお言いつけに、生まれて初めて、真っ向から逆らいました。はっきり云えばあたしはあたしのやり方でやろうと居直った。下種な言い方をすれば演劇改良なぞクソくらえと尻(けつ)を捲った。そうして、桟敷の御見物衆の力を信じて、それだけを拠り所に書きました。