登場人物が正しさを説くなんていうのは、物語ではない。
正しさを主張する、主張すればするほどオカシなことになっていく──ということであればそれは物語だけど。
これは愚痴か? なんでこんな前段を必要としているのだ?
『ビューティフル・エブリデイ 1 (フィールコミックス)』。志村貴子のマンガは、登場人物のイケメンが大いにまちがっている(性的に)のがものすごく凄い。男女問わず思春期は過ちに満ちたものではあるけど、それをロマンスとしてえがいて胡魔化すことをしない。
血のつながらない兄妹がひとつ屋根のしたで暮らす。
夜中
お手洗いに立った
わたしを
光一くんは
まちぶせて
いました
「来て」
わたしの手を
握ると強引に
自分の部屋に
連れ込みました
「あっ」
「さっきコレでシコってたんだ」
きもちわるい!!
すげーなー。
亡くなったお父さんのお墓参り。お父さんは幽霊になってそこにいて、視えるひととそうでないひとがいる。
幽霊とのおかしなやりとりは「ディケンズ!」とおもいながら(声でた)読んだ。深読みを誘う作家だよね、志村貴子……。