大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

「カルタゴは、殲滅されねばならない」……英国コメディのごとき執拗さ

男の肖像 (文春文庫) 男の肖像 (文春文庫) 塩野七生『男の肖像』。紹介されるのはペリクレスアレクサンダー大王大カトーユリウス・カエサル北条時宗織田信長千利休西郷隆盛、ナポレオン、フランツ・ヨゼフ一世、毛沢東、コシモ・デ・メディチ、マーカス・アグリッパ、チャーチル
おおむね立身出世、成り上がりの物語なので(都市を見はるかす)郊外、辺境の立場についてかんがえることもしばしば。のぼることと、くだること。
中央に対するミーハーな心。もっと塩野七生の視点に寄れば神仏、オカルトの問題。

ときおり、そばの街道を轟音をあげて通りすぎるトラックのほかには、なにひとつ現代世界とつながりをもつものとてないイッソスの古戦場跡をさまよいながら、私は、ルネサンス古代ローマの男たちは身近かに感じられるのに、なぜアレクサンダーはそう思えないのかを考えつづけたのである。
たいした命題に立ち向っているわけでもないから、なぜの答えはすぐにでる。
「アレクサンダーは、ある時期から神がかりになったのだ。それが私を、足ぶみさせる原因になったのだろう」

酒だけは上手くいかなかったが、女でも肉体上の苦労でも、自らを厳しく律したアレクサンダーである。それも、自分は死すべき者たちとはちがう、と思うからこそできたことであろう。
男にとっては、自らを神と同じと思う以上の快感はないのかもしれない。

織田信長が日本人に与えた最大の贈物は、比叡山焼打ちや長島、越前の一向宗徒との対決や石山本願寺攻めに示されたような、狂信の徒の皆殺しである。
比叡山焼打ちは、『信長公記』によってさえも、「霊仏、霊社、僧坊、経巻一宇も残さず、一時にうんかのごとく焼き払い、灰燼(かいじん)の地となるこそ哀れなれ」とあり、「数千の屍(しかばね)算を乱し」「目も当てられぬ有様なり」と書かれるほどだから、信長の命じた皆殺しは、徹底していたのであろう。一向宗徒に対しては、同じく『公記』によると、長島では、「男女二万ばかり、幾重も柵をつけとりこめおき」「四方より火をつけ焼きころし」、越前では、「生捕りと誅せられたる分、合わせて三、四万にもおよぶべく」であったらしいから、徹底さも、比叡山焼打ちに負けず劣らずであったにちがいない。
しかし、このときをもって、日本人は宗教に免疫になったのである。


(……)


皆殺しを決心する信長の心中には、大義名分は存在しない。理由は確としてあるが、それは、大義名分と呼ばれるたぐいのものではない。比叡山焼打ちを述べる『信長公記』中には「年来の御胸朦を散ぜられ訖」とあって、これを平たく解せば、やれやれこれで胸のつかえがおりた、ということであったろう。信長は、この想いだけで、殺しまくったのである。これが、良い結果につながったと私は思う。

〈信長ときたら、神は自分とともにあると思うどころか、第六界の魔王などとうそぶいていたのだから面白い。比叡山の僧徒も一向宗徒も、まじめであればあるほど、怒りのもって行きようがなかったにちがいない〉
アレクサンダーの《神がかり》《優等生》とのちがい、また《快感》の差を読みおもう。
〈同じ精神上の基盤に立っていなければ、決するのは力である。信長は、彼らの存在死のものを、まさに物理的に消したのだ〉

自分をナンバー・ワンにしてくれない信長に対して、あの誇り高く気の強い利休が、どのような感情をいだいていたのかも、私には気になってしかたがない。これは実に乱暴な想像だが、私には、利休という男が、相当にマゾヒスティックな傾向を内包していた男ではないか、と思えてならないのである。マゾヒスティックに、絶対君主として自分の上に君臨する信長に惚れていたのではないかと。

元老院に出席したカトーは、両手に、いくつかのいちじくをもっていた。それを、並みいる元老院議員に示したのである。誰もが、その見事な大きさと、まだ朝つゆにぬれてでもいるかのような新鮮さに驚嘆した。カトーは、その同僚たちに向って言ったのである。
「これほどの豊潤な果実を産する敵が、この新鮮さを保てる三日の距離にいる」

開戦キャンペインは、四年間つづけられる。今度も、執拗さが発揮された。カトーは、演説を終えるたびに、それがカルタゴとは何の関係もない内容のものでも、必ず最後に、こうつけ加えるのを忘れなかったのである。
カルタゴは、殲滅されねばならない」