「誰も知らぬ所で犬のように死ぬ予感に、かえって心は火と熾えた」 石田波郷
もう、行くも戻るも手遅れの、どうしようもないぬかるみ未知に踏み入れた三十歳だったのである。賭けごとや悪い遊びをしないのが、唯一の救いというぐらい。
岡崎武志『ここが私の東京』。『上京する文學』の続編にあたる。
紹介されるのは佐藤泰志、出久根達郎、庄野潤三、司修、開高健、藤子不二雄A、友部正人、石田波郷、富岡多惠子、松任谷由実。「これが私の東京物語」として率直に自らを語る岡崎武志も良い。
佐藤泰志(1949-1990)は没後、『海炭市叙景』『そこのみにて光輝く』『オーバー・フェンス』『きみの鳥はうたえる』と映画化されメジャーになったが〈村上春樹、中上健次などと同時代人として作家活動を続け、芥川賞候補に五度も挙がりながらいずれも逃した。生前に出た著作は三冊。死後にも三冊が出たが、それぞれ世紀をまたぎ越す頃には全作品が絶版となっていた〉。
「踏切り」のようなもので、行く手を遮断された男たちを、佐藤は小説で描いてきた。佐藤の作品が、二〇一〇年代になって再び読まれたのは、長期停滞する現代日本に同様のものを読者が感じたからではないか。
岡崎武志のチョイスは的確で、渋い。出久根達郎や富岡多惠子も読まれなくなった作家だろう。めいめいの「上京」に寄り添って、出久根の月島や富岡多惠子の渋谷区本町を掘り起こす。
『佃島ふたり書房』は、梶田がこの年最後となる「佃の渡し」に乗って、中央区明石町から対岸の佃島へ渡っていくシーンから始まる。うまい書き出しで、読者は陸から離れ、どこか別の場所へ連れていかれることを実感するはずだ。
富岡多惠子に東京への憧れや欲望はなかった。「欲望に突き動かされて行」ったのは、池田満寿夫という男に会い、一緒に暮らすためだけだった。それがたまたま、東京であり、新宿のはずれのアパートというだけのことだ。
「わたしは大阪の地理にもうといが、東京の地理にはさらにうとい。東京での度重なる宿替えは、結局いつも異国を流れているという意識がそうさせていたところもあった。したがって東京で住んだ土地への愛着も特別なかった」(「十二社の瀧」)
庄野潤三も開高健も、大阪の人。時代や、感覚の異同を想って読みくらべるのが楽しい。
司修の小説は、読んだことがなかった。孫引きだけれど〈所々に、病気の螢のような豆電球があるが、昼でも暗い廊下。部屋の一つ一つが、生きもののように微動している感じ、それはアパート全体の外観からもいえた。建物というよりは、みの虫や鳥の巣を思わせた〉(『赤羽モンマルトル』)と、魅力的。
この時代を岡崎は〈人も建物も、戦後のアナーキーなエネルギーに満ち満ちていて、災害に遭っても、誰に訴えるわけでもなく、自力で再生していく〉と説明する。
松任谷由実のエネルギー。異化する力も凄かった。
〈西立川駅を「ステイション」と言い換えたように、中央自動車道という色気も詩情もない硬い名称を「フリーウェイ」としたことが、この歌に命を吹き込んだ〉