大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

「ぼくの棲家は『東京』そのものである。これは今までのアパートよりもはるかに間取りが多くてゆたかである」  寺山修司

上京する文學 (ちくま文庫)

田山花袋自然主義文学にこだわるうちに、辿り着いた。

中村光夫が「田山花袋」という作家論でこう書く。

自然主義の勃興は文学の分野における『東京者』に対する田舎者の勝利であった」

岡崎武志『上京する文學 春樹から漱石まで』。〈三代以上続いた江戸っ子や、生まれついての東京人には、この「上京者」の昂りや憧れ、東京で住み暮らす不安と期待はわからないだろう〉

ラインナップが好い。村上春樹寺山修司松本清張井上ひさし五木寛之向田邦子太宰治林芙美子川端康成宮澤賢治江戸川乱歩室生犀星菊池寛山本周五郎夏目漱石石川啄木山本有三斎藤茂吉。特別収録で野呂邦暢

このシリーズが書き継がれていると「あとがき」で知り、調べれば開高健富岡多恵子の名もある。どこまでも追いたいとおもう。

 

寺山ほど、「東京」への憧れを、屈託なく繰り返し表明した文学者はほかにいない。

「私は人知れず、『東京』という字を落書するようになった。仏壇のうらや、学校の机の蓋、そして馬小屋にまで『東京』と書くことが私のまじないになったのだ」として、前掲の自伝(『誰か故郷を想うはざる』)に「東京」の字を三十五個、実際にびっしりと書き連ねるのだ。

「十二歳の頃/私は『東京』に恋していたのだとも言える」

こんな恥ずかしい表現を平気で使ってさまになるのも寺山らしい。

「東京に住みついてもう二十年もたつのに、いまでも『東京』という二字を見ると、やっぱり少年のように胸が躍る」(松永伍一との対談『浪漫時代』河出文庫

寺山も、大学進学のための「上京」なんてありふれた手は使わず、本当は「家出」をしたかったのだろう。

抜けなかった東北訛り、一年中どこへ行くにも履き続けた底の厚いサンダル、覗き趣味など、寺山には終生、ある「野暮ったさ」がつきまとった。戦略的にそれを武器にしたようにも思える。

「東京」に憧れ続けるための仮装だったのだろうか。

こんな具合に、読み易い。難儀したのは思い入れのない山本有三(『路傍の石』)くらい。

 

松本清張については〈上京の遅れのおかげで、作家の活躍がちょうど高度経済成長期と合致した〉。

松本清張の特色は、活躍期が日本映画黄金期と重なったため、多くの作品が映画化されたことだ。昭和三十年代初頭の「張込み」「点と線」、そして「ゼロの焦点」(三十六年)、「砂の器」(四十九年)などの名作を生み出す。これらの作品の多くは、初老(中高年)と若者の年の差がある刑事コンビによるのが特徴だ。

『点と線』は〈「風采のあがらぬ」初老刑事と「箱を連想させ」る若い刑事の献身的な捜査により、単純な心中と思われた事件が大事件へと発展していく。清張はこの老若コンビが気に入ったらしく、ファンのなかでも評価の高い長編『時間の習俗』で再び登場させる〉

バディ物としても読めるだろう。それは松本清張が出会った《年下の同僚》だともおもうし、《父》との関係の再構築という指摘もある。いずれにしても記号的なものでなく、血がかよっている。

 

江戸川乱歩。大人になってからまともに読んでいないけれど、ここにも東京がある。

〈二十面相が変装して現れるお屋敷町は、たいてい「麻布」。森のような緑生い茂る広い庭、高い塀を持ち、人通りも少なく、昼なおうす暗い異界〉──。

しかし、乱歩の記憶は、三歳で移転した名古屋から始まる。

一般的な上京と異なるモダニズムがあったろうし、土地や就労先も転々、迷走している。

大学を卒業してからの五、六年で二十もの職業を経験している。苦闘の時代、と言いたいところだが、本人は同い年の徳川夢声との対談「問答有用」で、こんなふうにあっさり語っている。

「当時、いい世の中でね、失業したって、つぎつぎ就職できた。(笑)とにかく、月給生活には不適格でしたね。朝起きるってことが、実につらくてね。作家は、朝寝をしとってもいいから助かる」

 

斎藤茂吉の章で、岡崎武志が〈幼少期より山をいつも視野に入れながら育った者は、いつだって「山」が恋しくなる〉と書いている。そこから故郷の「山」は「母」であると、母恋いの思想を展開するのは胡散臭くもあるものの、原風景の有無、“アナザースカイ”をもったりもたなかったりすることについてはかんがえた。〈故郷の山への「信仰心」〉、そういうものは都市的な感覚の子に抱きづらい。だから後天的に、なにか、きらきらしたあたらしいものにハマッたりもする。

 

そして野呂邦暢。未読の作家だ。

〈東京で暮らして、そのうち何者かになろうなどと考えていたわけではないと思う。ただ、野呂は東京の空気を吸い、東京で一度くらい暮らしてみたかった。この気持ち、同じく東京に憧れた上京組の私にはよくわかるのである〉