ここにも、舞台のような演出、ある。
『おっさんずラブ-in the sky-』にも『彼らを見ればわかること』にもあった。説明兼モノローグが、ピンスポットを当てられた舞台上の俳優の如きものとして、あつかわれる。
ある種の仰々しさだったり、起こりつつある事態を俯瞰する《笑い》の感覚だったり、生のものへの渇えだったり。
海外ドラマ辺りに根があるのかもしれないけれど、舞台的な演出は、なぜかもとめられている。
志村貴子の『さよなら、おとこのこ』は演劇とスーパーナチュラルなものを絡めてマジカルなBLだったが難解で、引用や圧縮を拒むところがある。なので逃げるような気持ちで兄弟ものの短編集『ブルーム・ブラザーズ①』を読んだ。こちらはいたって明快。
CASE.2「長い間会っていなかった兄弟」にピンスポットの独白がある。一人称を入れ替えることでそれぞれの吐露が容易にもなる。この話は連作で、「弟が兄のことを好きな兄弟」(CASE.3)、「弟に背中を押された兄と友人」(CASE.5)と展開する。
カミングアウトなんてするもんじゃない
いやオレはしてないけど
アウティング(第三者による性的指向の暴露)というコトバを志村貴子は用いていないが、それによって転がりはじめる恋愛だ。
ゲイ自認のほうはウブだし、惚れられる側は性的には揺らぎがある。異性愛なのか。同性愛もできるのか。再検討してみるというのが現代的でスリリング。ドキドキする。
「興味ってゆーか 知りたい」
「なにを」
「オレの可能性」
ほかにCASE.1「同じ人を 好きな兄弟」。CASE.4「仲良しな兄弟」。