ホラーというほどの現代性はない。ゴシックホラー。サスペンス寄りのダークファンタジー。『ダーケスト・ウォーター』(2017)。原題は「The Lodgers」。
舞台は1920年、アイルランド。さいしょの印象は『嵐が丘』。広い屋敷が窮屈でたまらない、という感覚。そこに18歳の誕生日を迎える双子の兄妹がいる。幽霊たちに守られて、暮らしている。
他と交わらない、交わってはいけない閉鎖的な生活。経済的困窮。寒々としたまま朽ちていく雰囲気は好い。レイチェルとエドワード、姉弟のほかに登場するのは戦争帰りの若者、そして昔から付き合いのある老弁護士。
多額の負債を抱えたこの家で、いくらかの延命となるような金目のものはないかと、あれこれ独言しながら値踏みする弁護士、「イギリスに返還したほうがいいのかもしれません」。
そこへ床下からの幽霊の声。「ぼくらはイギリス人じゃない」
ところどころがおもしろい。イエーツが採集した妖精たちの物語のようだ。
〈妖精たちの陽気で優雅な振る舞いを見るには、アイルランドへ行かねばならない。彼らの恐ろしい行為を見るなら、スコットランドへ行くとよい〉(イエーツ『ケルトの薄明』)
ことばにするとずいぶん佳い映画になってしまう。それほどでないともおもうのだが。
青春期の人物たち、というのもホラーに不可欠ではあるけれども、思春期の、レイチェルの性的な飢えが災いを呼ぶ。幽霊物語のかたちをした《罰》なのかもしれないし、なにやら責任感に満ちた弟も《罪》や《罰》を発見したがる。
レイチェルは、戦争帰りのショーンに恋をする。肉体由来の。
レイチェルが科白する。「憎悪より邪悪な愛もある」
そのあとに言うのは「あなたの義足を見せて」。
ショーンだって年頃だから、求められているのをかんじとれば、惹かれる。しかし奇異な部分をみつめられれば反発もある。
「きみにはわからない。これが戦争だ」
レイチェルは幾度もじぶんたち姉弟や亡き父母のヴィジョンを視る。それは全裸だ。床下の幽霊たちも全裸。ピーター・グリーナウェイの『プロスペローの本』を連想、こちらもシェイクスピア『あらし』。風雨のなかの物語。
監督、ブライアン・オマリー。