「証拠でもあるんですか?」「ない。ないから、おまえだって言ってるんだ」
『キャバレー』(1986)、作り手に愛された作品だったのだとおもう。原作は栗本薫。角川春樹事務所創立10周年記念作品。出演者は豪華。冒頭で北方謙三観て「おっ」とおどろいたり、チンピラ役の宇崎竜童が海に落ちたり、三原じゅん子が駅弁ファックされたりと。監督、角川春樹。たとえば和田誠監督の『麻雀放浪記』(1984)の様式としてのアナクロニズムと比べると、角川春樹のアナクロは気質なのだと判る。それがわるいわけではなくて、さまざまなアナクロでもって80年代角川映画は躍動していた。
「あたしが好きなジャズっていうのはね、カッコつけた正義とか、お高くとまった法律とかにずっと背中を向けてきたの。日蔭者で上等よ」
台詞はなかなかスリリングだ。
「トーシローのオンナにジャズがわかるかよ」は巧い。「オンナに」だと単なる男尊女卑だから。
「おれはまだ、じぶんの音をみつけたばかりの赤ん坊だ。三流プロからはじめてみなくちゃな」と野村宏伸が科白するが、説明的で棒読みで、これはないだろう。
野村宏伸と鹿賀丈史の、バディというのじゃない、微妙に交錯する物語。
「ひどい! あんた人間じゃないよ」「……おれはヤクザなんだよ」