生物映画についてのエッセイ、畑正憲『もの言わぬスターたち (中公文庫 A 24)』。〈好きなことをして毎月お金を貰えることが、ぼくには新鮮な驚きであり感動であった。
大学院の頃はひどかった。完全な無給生活。アルバイトだけが頼りだった。生活費をギリギリにきりつめ、池袋から東大まで歩いて通った〉
学生時代に妻が妊娠する。家族からも中絶をすすめられる。医者である父からも。その残酷さにから畑正憲はかんじた。〈赤貧を楽しみながら生活を続けることは、幸福をもたらさないのではないか〉
畑正憲の文章にはストーリーがあるから前後を端折って引用するのがむずかしい。強烈なヒューマン・ドキュメンタリーを観たあとに、
熱心に生きることがすべてを解決する──そう分った時に、熱心に生きることが出来なくなっている自分を発見するのは辛いものだ。この時ぼくは、あといくつか映画を作ったら、会社をやめようと思った。サラリーをもらうぬくぬくとした生活で、本当のものは作れないと自分を責め始めていた。
江戸時代のやくざは、生れ在所士農工商の身分に束縛されることからの反逆でもあった。ある意味では自由の徒といえる。だがいったん集団をつくると、やくざ社会の変てこりんな規則に悩まねばならなかった。映画の社会も同じだと言えないだろうか。