オスカー・アイザックの演じたキャラクターくらいではメインを張れない群像性。そうでありながら対話劇。良きコスチュームプレイ。
『スターウォーズ/最後のジェダイ』観る。脚本、監督ライアン・ジョンソン。時代劇というよりはWWEプロレスか。スター・ウォーズやSFやアメリカンプロレスが表出する“人種のるつぼ”は時代と共に変わっていく。すごく現代的だった。多士済済であるためにストーリーが大味になるのは仕方なく、その都度クローズアップされるキャラクターに対する描写はあるものの物語としては“サラダボウル”で“パッチワーク”、うまく乳化はしていなかった。
若いおとこの子の物語もあり、若いおんなの子のそれもあり、ちいさな子の挿話もあった。細分化する能力に欠けたJ・J・エイブラムスだったらもっとすっきりさせただろう。
レイ(デイジー・リドリー)とは別種のヒロインとしてローズ(ケリー・マリー・トラン)をぶつけてきたのが好かった。ローズの軽快さによって、レイも重厚であることを免れ、きびきびした強さだけをのこしている。だから、カイロ・レン(アダム・ドライバー)との肉感的な対話も可能になった。
ベニチオ・デル・トロの非スターウォーズ的なキャラクターは魅力があった。捨て科白して消えてしまうので、今作にかぎって言えば「もったいない!」。
ルーク・スカイウォーカーを演るマーク・ハミルの熱演に満足。キャリー・フィッシャーのレイアは現場で戦いつづける継続性から、やや退屈な、逸脱行動のすくない人物になっているのだけれどもルークは退いたにんげんで、それがもう一度じぶんのなかの火を掻き立てる。これは凄いこと。
たとえば志賀直哉的とでもいうのか、ウェルメイドな自省や和解はそれほど助走や溜めを必要としない。安定した語りのなかで絵を描くゆえに。
パッチワークの物語だからこそ、出番がくるたび俳優はじぶんに目を向けさせなくてはならず、つぎのばめんになればすぐわすれられてしまう。そういうざわついた語りの形式は、カムバックや悔恨にとても合うのかもしれない。こんなにマーク・ハミルを愛することになるとはおもわなかった。