大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

テレビにでているときとはちがう、実直と自由。

紫の履歴書
コンサート、『美輪明宏 ロマンティック音楽会〜郷愁ノスタルジア〜』行く。
半生を語りつつ、ばめんに即した歌をうたう。『紫の履歴書』の名をだしながらも、そこに書かれた烈しさはない。若いころのばめんを演じてみせる口吻に、するどい、丸山明宏らしさを垣間見たりする。長崎は国際的な都市で、人種差別はなかった。パリの芸術家、サロン、ボヘミアン、そこにはなんの差別もなかった。それは、いまの美輪明宏のもつ物語だ。
それでいいとおもう。カラフルであることを信じ、語れば佳い。
美輪明宏は《ロマンティック》をたいせつにする。その対義語は美輪明宏にとっては《メカニック》で、このことについてかんがえるとずいぶんながい話になってしまうのでここで書くのは避けるけれども、世のなかはすこしずつ、若い、美しい、おとこの子たち(付け足しのように「と、おんなの子たち」)によって自由でロマンティックなものがまた花ひらいていくでしょうと語るのだった。フリートーク内村航平とか、白井健三とか、羽生結弦とか、宇野昌磨の名がとびだして愉しかった。美輪様イケメンのことばっかりじゃん!
すくないワード数のなかでも羽生くんより宇野昌磨のほうが好きそうなのがかんじられて痺れた。
第一部では「長崎育ち」「惜別の唄」「いとしの銀巴里」「メケ・メケ」「ヨイトマケの唄」「金色の星」。
島崎藤村の「惜別の唄」を作者不詳と仰言ったのはなぜだろう、主催の労音に対するふくざつな配慮だろうか、「金色の星」は三島由紀夫『美しい星』と響きあうなあ、など。
シャンソンには労働の歌があるのに、日本にはなかった。それで「ヨイトマケの唄」をつくったというのはみごとな話だ。
「いとしの銀巴里」は、銀座の銀巴里をうたったもの。いまの銀座はそれこそメカニックになってしまって、ロマンティックなものがのこっているのは服部時計店(和光)と銀座七丁目のライオンビヤホールくらいだと。
82歳の美輪明宏が「いとしの銀巴里」をうたうのだ。

やがて私も老いぼれて歌えなくなったら
若い小鳥たちの歌を聴くでしょう
それまでは夢中でただ一生懸命
歌い続けましょういとしの銀巴里で


第二部は「ラ・ボエーム」「枯葉」「バラ色の人生」、そしてアコーディオン奏者によるソロ演奏「無関心 L' Indifference」。
鍵盤ではなくボタン式のダイアトニック・アコーディオンを演奏できるひとはフランスでも減っているそうだ。それを聞いて、かなり昔に、常連だった東京のビストロでホールスタッフが演奏してくれたアコーディオンをおもいだした。いろんなことがありがたいよな。それに気づかず日を送る。出逢えれば、遅かったと言う必要はないけれど、離れて時間が経ってからそのありがたさに思い至れば痛恨だ。
そして美輪明宏もどってきて「ラストダンスは私に」「ミロール」。
アンコールに「愛の讃歌」。