大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

駄菓子屋の豊饒

はえぎわ『ベンバー・ノー その意味は?』観る。会場は新宿シアタートップス。かつて新宿角座だったところ。

すこしずつ、なにかが無くなっていくと舞台でノゾエ征爾が言った。「ノゾエの『ゾ』がなくなってノエになる」と。

それは筒井康隆の小説『残像に口紅を』など、奇想へのオマージュでもあるけれど、内田健司はケン、川上友里はカワミ、井内ミワクはミワ、竹口龍茶はタグチ、山口航太はヤグチ、踊り子ありはオリコ、鳥島明はトシマと皆一文字ずつ抜きとられて生き、いまの世の欠落感をあらわしてもいる。パラレルワールドタイムリープあり。大袈裟にしないで笑わせる上手さ。しかも泣かせる。

泣き笑いのチョイスが抜群で、「リパブリック讃歌(ともだち讃歌)」をうたいあげるのもその一つ。深刻過ぎぬ筋運びだからこそ、観客は笑い、油断して、この物語をじぶんのなかに入れてしまう。哀惜によって人生の歩みを止めてしまう経験はだれにもある。それでケンは、ぶらぶらしている。カワミとの恋を繰りかえす。ケンだけでない。いくつもの別れがえがかれる。修復を予感させる喜劇的なものだから、一層泣いてしまうのである。

 

ミワとノエは結婚している。ブティックを営み、長いこと閉店セールをしているという設定に触れるだけで観客としては別れを予感する。

ノエの弟がケン。仕事ができなくなっている様子。カメラマン。

カワミは女優。そのマネージャーにトシマ。

施工業者のタグチとヤグチ。タグチと暮らす、オリコ。

 

装置、小道具、演出。ノゾエ征爾は視覚的におどろかせてくれて、舞台だなあと感動する。