大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

「材料」「道具」「掃除」  中村外二工務店

Pen (ペン) 「特集:日本の建築、ここが凄い!」〈2022年2月号〉 [雑誌]

シーズン2に入ってからの『准教授・高槻彰良の推察』が録りっぱなしで追えておらず、雑誌のたぐいは完全に脱落した。その辺りをちびちびと摂りつつ2022年をはじめたい。

『ペン』2022.2、表紙は伊野尾慧。京都・岡崎にできたラグジュアリーホテル『眞松庵』を訪れる。「離れ」は1966年の造作を活かしているという。縁側がなく、部屋と庭が近い。

中村外二工務店・中村公治との対談。「修理のしやすさが日本の木造建築のよさのひとつ」と中村。「持続可能」というコトバで応じる伊野尾の巧さ。

伊野尾 当たり前ですが「和風」とは別物。多くの人が、こういう上質な建築に触れられる機会があればと感じます。

中村外二工務店への訪問もあり、キャプションの〈大工はそれぞれ、「ここいちばんの道具」を持っており、ときに道具を後輩へ譲ることもあるが、それは技術と意志を次へ伝え継ぐ思いの表れでもある〉というのが印象ぶかい。

つづく中村外二工務店の記事にある〈道具は材料に合わせて生まれるもの〉も沁みることばだ。

 

伊野尾慧「僕が深く感銘を受けた、“日本”を感じる4つの名建築」のなかに「五島列島の教会群」がある。

柄谷行人坂口安吾を読みかえし、日本のキリスト教についてかんがえていたところだから、一寸立ちどまった。

〈彼は、合理的であるためには、およそ非合理的な情熱を要するということを、キリシタンのなかにみとめた。むろん信長のなかにもみとめた。しかし彼が、実践の合理化にすぎぬ近代的合理主義なるものと無縁であったことはいうまでもないのである〉と柄谷行人は「『日本文化私観』論」で書いている。

こういうアタマで巻頭の隈研吾インタビューを読むと「中国から来た組物を咀嚼し、日本流に変形し、ある時には禅宗様が入り、それをまた咀嚼していく。そうして培った多極的な柔軟さが、西洋のモダニズム建築との二項対立のせいで見えづらくなってしまった」なんていうのがするする入ってくる。