大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

恋はケレン

サイモン・スティーヴンス作『ハイゼンベルク』。

75歳の男と、40代の女。出あった二人の距離が近づく。色恋を支えるのは純粋な動機ばかりではない。打算もあろう。それをあいてが容れてくれるか、また自身で認められるかどうか。そういう会話劇であったようにおもう。

出演は平田満小島聖。演出、古川貴義。ダブルキャストのもう一方のチームは全公演中止となった。

 

「毎晩、仕事が終わると歩いて帰る。途中で、ベンチに座る。おなじ公園の、おなじベンチ。そこでいつも音楽を聴く」
「歩いて帰るの?」
「そうだよ」
「クラパムコモンまで?」
「ああ」
「どれくらい掛かる?」
「1時間半」
「それを……毎日?」
「毎日。好きなんだ、歩くのが。歩きながら、頭の中で、詩を書いてる。年とって、頭のおかしくなったクマのプーさんみたいだろ? ふっふっ、ほかになにしてるかなあ……家の中でクソまずいビスケットを食うくらいか」

このくだりで、ぼろ泣きしてしまった。A・A・ミルンクマのプーさん』への思い入れ。

書店に平積みされた文庫新刊でなく、さがして買い求めた初めての単行本はミルンの詩集『クリストファー・ロビンのうた』『クマのプーさんとぼく』だったかもしれない。

石井桃子訳の『プーさん』に衝撃を受け、小田島雄志・小田島若子の訳した詩集に痺れまくった。その記憶がよみがえった。

クマのプーさん』の住人たちは個人主義的で、偏屈。エゴイスティックだし、エキセントリック。ヒトというのはこういうものだと思い定めれば、だれとでも恋愛ができるようになる。

ハイゼンベルク』に登場するジョージー小島聖)は、いわゆるサイコパスなんだろう。初手から狡い計算があったというより、近づいたことで、どれだけじぶんが許されるのか試してみる気になった。全身全霊で愛されてみたくなったのではないか。それを邪悪と呼ぶかウブとみるかはひとそれぞれ。アレックス(平田満)はかんがえて、呑んだ。そういうかたちで役に立つ生きかたもあるのだと。

頑健で、孤独の結果の平穏を手にしたアレックスが『クマのプーさん』の世界と近いのは、わかる。厭世的に老いたことを、自嘲する。

 

「クソまずいビスケット」という悪ぶった言い回しはアレックスが、ジャージーの真似をしたもの。ジャージーだって板についているわけではない。そこがかなしい。

野生児と学者の恋のような、異類の出逢いが美しかった。