大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

アトリエ乾電池の充実。

劇団東京乾電池『牛山ホテル』観る。作・岸田國士、演出・柄本明

どえらいものを観た。緞帳におおきく「仏領印度支那のある港 九月の末 雨期に入らうとする前」とさいしょのト書が縫いつけてある。リーフレットにはこれまたおおきく岸田國士の言葉が印刷されていて、

〈『この作品を書いたのは、昭和三年(一九二八年)の暮れで、私が仏領印度支那に渡つたのが、それより十年前である。

私はほとんど無一文でフランス渡航を企て、幸ひ香港で臨時の職を得てこの未知の土地へひとまづ落ちつくことができた。滞在わづかに三ヶ月であつたけれども、この東洋の植民地における日本人の生活の印象は、私の脳裡に深く刻みつけられた。孤独な放浪の旅と、陰鬱な南方の季節と、民族の運命に対する止みがたき不安と、これらが一体となつて、この作品の基調を成してゐるものと思はれる。』〉

と、開演前からじゅうぶんに演出されている。異国の匂い、だが幕が開けば夕暮れ、三人のしどけない女。襦袢に腰巻、あるいは浴衣としっかり日本をもちこんだ妾たちの色気が凄い。

主演のさとに佐々木春香。妾の一人やすには太田順子。ホテルの養女とみに鈴木寛奈。

舞台装置、小道具もリアリズムでしっかりしている。場面が五場あることを懸念していたが、事前に上演中緞帳が下りることを聞いて、さらに期待が高まる。小手先の、抽象的な演出はしないらしい。

印度支那で長く働く男たちは総じて日に灼けている。日本から赴任してきたばかりの三谷(土居正明)は色が白い。リアルである。

かと思うと、酔った水夫の顔は喜劇的に真赤に塗られ――これは〈仏蘭西の水夫〉を日本人が演るためでもある――硬軟織り交ぜた演出がみごとなのだ。

〈別居せる真壁の妻〉〈猶太系の仏国女、かなり贅沢ななりをしている〉ロオラ(竹内芳織)も俳優が日本人であることが目立たぬように暗がりに立つ。

 

舞台美術がきちんとしていて、演出の目が隅々まで届いている。そのうえで俳優たちは基本の声量、滑舌がみごと。関係性に萌えるとういうような副次的な感動でなく、ただただ眼前の舞台に圧倒される。

序盤に登場する写真師・岡(山肩重夫)は、さとに「男の真心」を説く。グッときた。演技が出来ているから、おずおずとした純情というものも、観客にばっちり届く。

しかしそれは妾としてのさとを否定しかねない。

岡  必要な時は、金で縛つて置く。用がなうなれば、金をやるから出てゆけ。これが男の真心たいな? 成程、そのお蔭で、あんたは、五年の年期を三年あまりで済ますことができ、その上嫁入りの支度金まで持つて、お父つつあんの傍へ帰れるて云ふかも知れん。しかし、それがなんたいな? あんたは、ムツシユウ・真壁と、さういふ風に平気で別れられるぢやなかですか。

さと  平気……? どうしてそぎやんこついはるツとな?

さとは真壁(鹿野祥平)と別れてこの地を発つことになっている。それを周りが遠巻きに、ああだこうだと言う恰好だ。

ホテルの女将・牛山よね(西村喜代子)。真壁の下で働く鵜瀞(西本竜樹)、島内(岡森健太)。金田洋行の主・金田(杉山惠一)。納富(綾田俊樹)。三谷夫人(重村真智子)。

三谷夫人の突発的な笑い、階段を駆け下りてくる真壁といった盤面を引っくり返す劇的振る舞いにも興奮した。

出演者はほかに工藤和馬、本田彰秀、鈴木美紀、矢戸一平、前田亮輔。