『ダーウィン・ヤング 悪の起源』(演出・末満健一)観る。主演はWキャスト。大東立樹のほうを。
九つに階級分けされた街。60年前の暴動、あるいは革命がいまも話題になる。舞台は、200年続く寄宿学校。学校のそとでは、謎の死を遂げた少年の30回目の追悼式が行われている。
原作はパク・チリの小説で、ヤングアダルトに分類されるだろう。現在、30年前、そして60年前それぞれに16歳だった者たちの青春が描かれる。題名や、舞台のポスターはおどろおどろしいが、それを超えるきらきらがある。
ダーウィン・ヤング(大東立樹)と友達になるレオ・マーシャルを演じたのは内海啓貴。非常に良かった。大東立樹との相性も好い。おおきく、あっけらかんと男性的なレオは、かんたんに権力を握り得る身体だと自覚しているがゆえに反骨なのだった。
少年としての華がありながらもポジションをみつけられずふわふわとしたダーウィンからぐいぐい、さまざまなものを引きだしていく。ダーウィンの《悪》がヒロインでなくレオに向かうのも、それを容れるようなところがあったから。
大東立樹のダーウィンから受けた印象は《無垢》だ。『小公子』や『星の王子さま』をおもわせる透明性。独りで悪に染まるわけではない。
ダーウィンは、ボーイフレンドにもガールフレンドにも恵まれている。ヒロインのルミ・ハンター(鈴木梨央)は「探偵」として「助手」のダーウィンを引っぱりまわす。
ルミの叔父にあたるジェイ(石井一彰)が30年前、しんだ。そこにのこる不審な点をルミはさぐりつづけている。
この物語が連想させる映画は多いけれども(『第9地区』(2010)、『バットマン ビギンズ』(2005)、『華麗なるギャツビー』(2013))、ミュージカルとしての魅力に溢れていて、何度でも観たくなる。作曲パク・チョンフィ。台本と作詞はイ・ヒジュン。
心地の良い飛躍と展開。たとえば石川禅が16歳の少年として革命に身を投じる場面では、上官の信頼を勝ち得て、しかし利用されているだけなのを知り、弑するに到る――この一連がたった数分で描かれる。原作小説が長大であろうと、なかろうと、こういう選択の余地のない局面はいたずらに掘り下げる必要はない。
レオの父バズ・マーシャルが寄宿学校のドキュメンタリーを撮るくだりもスピーディだった。
楽曲は多く、台詞はコンパクト。無駄なく、心情が込められているから一つ一つにグッとくる。