大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

胡弓 高橋翠秋 紀尾井町

高橋翠秋・胡弓の栞』第十三回。パンフレットに〈この度は平成十年に催しました初リサイタルと奇しくも創作を除いて同じ番組が並びました〉とある。副題は「明日へ繋ぐ」。

古曲「千鳥の曲」

本曲「鶴の巣ごもり」

創作「蝶 『荘子』による」

創作「月の傾城」

胡弓は三味線、箏と並ぶ日本の伝統的な楽器だけれど、いまも異国の音がする。たっぷりとした馬の毛の弓で擦り、遥か遠くをえがきだす。

浜や空、鳥に蝶と胡弓は自在で、その持ち味を存分に発揮した高橋翠秋作曲の「蝶」と「月の傾城」。どちらも好かった。

 

「蝶」の胡弓は高橋翠秋と高橋葵秋、母娘の競演だった。受け持つパートも、弦の調整もちがうのだろうけど、そのうえで演奏の巧拙を看て取れるのが興味ぶかい。胡弓は眼にも愉しい。いくらかわかるようになってきた。

「蝶」の語りは中村児太郎。「昔者(むかし)、荘周(そうしゅう)、夢に胡蝶と為(な)る。栩栩然(くくぜん)として胡蝶なり。自ら喩(たのし)みて志(こころ)に適(かな)うか、周なることを知らざるなり。俄然(がぜん)として覚むれば、則(すなわ)ち蘧蘧然(きょきょぜん)として周なり。知らず、周の夢に胡蝶と為(な)るか、胡蝶の夢に周と為(な)るか。周と胡蝶とは、則(すなわ)ち必ず分(ぶん)あらん。此(こ)れを物化(ぶっか)と謂(い)う」……。

 

「月の傾城」初演は今夏の「藝能学会2023年度『藝能セミナー』」とのこと。

「月の傾城」には宇治文雅と二世宇治紫友が作曲し、京舞とともに披露したもの(1953)、宮崎春昇作曲の地歌吉村雄輝の舞によるもの(1957)があり、今回は令和の新作だ。

歌・三絃は岡村慎太郎、胡弓高橋翠秋、箏に松坂典子。

歌詞はもちろん折口信夫

月の夜に 傾城ばかりあじきなや。広い座敷にしよんぼりと、我(ワレ)いとほしのもの思ひ。

空は晴るれど、はれやらぬ心にひびく宵の鐘。寺々(デラ)多き京の内。数々告ぐる入相の数ある音に、尼が撞く鐘のひびきも交るらむ。

しんきしんきに胸つかへ心いらだつ鼻の先(サキ)、見えすくやうな追従(ツイショウ)を聞きともなやと人よけて、構(カマ)はれともなきわが思ひ。

見わたせば、薄霧かかる河原の松の、墨絵のやうな立ち姿。白き二布(フタノ)に浪よせて、風に吹かるる気散じさ。この身になつて何の見え。松になるなら河原の松に、風に吹かるる気散じさ。

思はぬ軒に陰さして、うなだれ見ゆる頤(オトガヒ)の、このまあ痩せたあはれさを、とひ来る人のあれかし。はりも涙もふり払ひ、泣きよる我を見よかし。月に照らされてゐる我が身。