大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

ここをでなければ。そとでこどもがまっている。

クリーブランド監禁事件 少女たちの悲鳴 [DVD]
報道されなかった細部の欠落を埋め、煽情的に語られたであろうところは省略する。つまり真っ当なのだが、ネットサーフィンで情報を拾っていったときのおぞましさはない。映画として、それが過不足なく倫理的なつくりかただったのか、よくわからない。
2015年のテレビ映画『クリーブランド監禁事件 少女たちの悲鳴』。少女たちが断続的に誘拐、監禁され十年が過ぎていたという。助けを呼ぶ機会をたまたま得たのだとかんがえてもいいけれど、その前年に犯人がスクールバスの運転手を解雇されていたことをかさねてみると、あたまのわるい犯罪者アリエル・カストロはあたまのわるいなりにどうにかこの状態が終わらないかとぜんたいに雑になっていったふうにおもえる。それが鍵の掛け忘れだ。
アリエル・カストロはしあわせになりたかった。しあわせな家庭が欲しかった。すでに離婚してもいる。どうしたらやりなおせるか。それが誘拐、監禁だった。
あるいはしあわせな家庭よりもさきに、もとめたのは性欲の捌け口だったかもしれない。さびしさと性欲としあわせと生活を利己的につなげてしまっていた。そのまま人生の終わりが見えてきた。ますます利己的に、強引になった結果が犯罪だ。