日本の古典芸能に寄せた演出で、正方の舞台。生の演奏(ここではヴァイオリン)。間接照明、また夜を表すものとして蝋燭の灯り。
杉田玄白(有馬自由)の晩年。「蘭学事始」の草稿は出来ている。しかし、腑分けされた罪人の幽霊を視るようになってもいた。
この幽霊が青茶婆(中原三千代)。なぜ玄白のまえに現れたのか。伝えたいことがありそうだ。杉田玄白に生きてほしい、元気になってほしいと腑分けされたすがたを見せつける。
登場人物は、蘭と呼ばれる玄白の娘(砂田桃子)。玄白と前野良沢に師事した大槻玄沢(山中崇史)。玄沢が目を掛ける宇田川玄真(新原武)。
かつて腑分けの死体確保に尽力した得能万兵衛(岡森諦)。被差別階級の虎松(犬飼淳治)。
若き門弟役に鈴木利典、小川蓮。
本日のヴァイオリン奏者はビルマン聡平。
蘭と破談になった宇田川玄真は、その理由を「変態性欲」と説明される。難のある女性とばかり関係するという。
玄真が被差別階級を嫌うのはわかる気もする。階級で社会を見ている。性愛のあいてをじぶんと対等なものとしてかんがえられない人物のようだ。
玄白の主観に過ぎる「蘭学事始」の校訂をめぐりながら、旧弊な不平等の打破が説かれる。士農工商。男と女。おなじにんげんではないか。西洋人と東洋人の臓器の位置はいっしょ。蘭学から自由や平等という「危険思想」を培っていく。
自由をもとめる心が、じぶんより年若い者を気に掛けることにつながっていく。それが青茶婆や大槻玄沢、蘭、得能万兵衛をうごかしている。
愛と悔いのクローズアップが上手く、泣いた。