大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

〈虫も 人も 皆うつくし〉

我妻恵美子を観たくて東京文化会館  小ホール。舞踏の摂取。非言語的な。性差のない。社会生活とは異なるテンポを欲して。

「シアター・デビュー・プログラム 『虫めづる姫君』」観る。クラシック音楽と、舞踏。しかも日本の古典文学。それぞれのしっかりとした主張に圧倒された。音楽監督・作編曲・ピアノは加藤昌則。

加藤氏は、パンフレットの「音楽について」で〈引用曲の多くがオーケストラの曲であり、それをたった4人で演奏します。必然的に個々が相当な負担を抱え込むことになり、特にフルートとクラリネットは3種の楽器を持ち換え、異なる音色で個性的な場面を演出してもらいます〉。

〈全体を通してこうした要求の多い音楽にもかかわらず、舞台では多くが舞踏の影に隠れてしまうことでしょう〉と記しているけれど、出演者の皆が覇権を争うようで、生命力に溢れていた。

〈様々なデフォルメを加えることで、この舞踏のために書かれたものであるような仕様に仕立ててみました〉というそのデフォルメが、時にお行儀の良すぎる古典にはない臨場感を生む。

フルート、上野由恵。クラリネット、濱崎由紀。チェロ、笹沼樹。

ソプラノと「語り部」に三宅理恵。クラシック音楽に専心してきたひとたちの舞台における対応力が凄い。間が良い。食われない。舞踏家としぜんな掛け合いができている。

舞踏は我妻恵美子、塩谷智司、阿目虎南。

 

活発な幼女、振りまわされる大人たち。ひとが虫になったり、馬になったり。みごとだったのは蛇。塩谷と阿目による蛇の操作は俳味があったし、奏でられたのも歌曲「蛇」(リー・ホイビー)だという。

脚本、ペヤンヌマキ。