大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

「あなたは怒鳴って叱るだけ。あの子が車を買ったのは、この家から逃げだすためよ。あの子が憎いの? ひどい父親!」

ニューヨーク東8番街の奇跡 [DVD]
製作総指揮スティーブン・スピルバーグ。『ニューヨーク東8番街の奇跡』(1987)。監督はマシュー・ロビンス。脚本には大勢たずさわっていて、ブラッド・バードの名も。
登場人物それぞれの動機や困難がすぐ示されるところや、かの女たちが立ち退きを迫られていること。ばしょとひとがしっかりと固定されてみごとに優等生な脚本だけれど、いまの速度感で観たら演出がのんびりしてみえるかもしれない。
「80年代にリアリズムは流行らないのよ」という科白。これを言われるのは立ち退きを迫られている側だから、「リアリズムを守りたい」と読める。ここでのリアルは歴史的建造物、油絵、手触り、記憶。SFやファンタジーがもとめるところもそこだろう。リアルを存続させるためにSFやファンタジーが要るのであって、端(はな)から絵空事を目ざしているのではない。


女性的な苦しみは、あたまやこころを変にする。ヒロインのフェイ(ジェシカ・タンディ)は、認知症の気味があり、「だから」さいしょに異変を察知する。社会から外れたところにいる老人や子供が他者と触れ得る展開は、スピルバーグ的だ。この映画には子供が登場しない。わが子をみつけられずにいるヒロインや、若い妊婦や、孤児性を保ったまま与太者になってしまった男など。あきらかな子供の不在があって、それでUFOとUFOがカップリングして「おチビちゃん」たちが誕生するばめんにも価値がでてくるというわけ。
こうなってくると、生まれること、殖えること、続いていくことが主題化するので「別れ」や「卒業」や「成長」の展開はなくなる。
オールディーズ。なくならないものをえがくためにはいくらか「家族」から離れる必要がある。