もしかしたらこれがモキュメントに対するひとつの答えかもしれない。この世のなかは時短のためにこまかく切り刻めば切り刻むほどウソとホントが分けにくくなる。だから、モキュメントにもウソのしるしがあったほうがきっとよくて、こどもにはわからなくてもおとなにはわかる、そういう演出は要るのかも。ウソかホントか画から検証できないモキュメントは怖い。
映画、『エンドロール〜伝説の父〜』(2012)。「第4回WOWOWシナリオ大賞」の映画化。売れないライターとか映画監督の夢とか、異性や親の無理解とか、いじめに遭っている子とか、はじめのうちは自己弁護的な話かとおもう。冒頭で「東京はやっぱり乱れてるのか?」と異口同音に言ってくるところなどにやや狂気をみたが、徐徐に狂気が、ばかばかしさがまさってくる。これは愛しい。わすれてはいけない映画だ。
わが子(鈴木励和)のために、りっぱなすがたをのこしたいとかんがえる病床の明生(萩原聖人)。ぱっとしないライター雄司(中村獅童)はウソでかためた明生の自伝的脚本に呆れるが、ならばいっそトんでしまえと、宇宙人を登場させたりプロボクサーと対戦させたりするものへと書き換えていく。
《ほら話》の系譜ということ。監督の石井裕也や俳優・池松壮亮の名に惹かれて観たが、中村獅童、萩原聖人、梶原善、六平直政、田島令子、螢雪次朗、稲川実代子ほか皆良い。なかでもおどろいたのが子役の鈴木励和。
「ばかげたことに没頭する価値」という科白に打たれる。没頭すれば、ウソのかたまりからホントが顔をだす。