「最低な男」「それがプロデューサーよ」
話題になることもなく消費されるたぐいのB級映画の現場を舞台に──と観はじめたものの受けとめる心地が徐徐に『サクラメント 死の楽園』、カルト教団の物語のような。
イギリスの録音技師・ギルデロイ(トビー・ジョーンズ)がイタリアのホラー映画制作に関わることとなる。もちろん技能で金を得ようと海を渡ってきたのだけれど、なにかが支払われる様子はない。滞る。サンティーニ監督(アントニオ・マンチーノ)は「芸術」を盾にキレイゴトをならべつづける。ある瞬間これに呑まれるさまが怖い。
技師は言われる。「この映画で拷問に遭う女たちは魔女だろうか敬虔な信者だろうか」。答えに窮していると「きみは神を信じるか?」。
「どちらとも言えない」
「きみたち英国人は本音を出さない」
ここで議論に巻きこまれてしまう。そうなるとニンゲンはおしまいだ。二者択一を迫られ、おなじ流儀で飯を食うほかなくなり、ある集団のなかでは正しい価値観を共有する。これをかんたんに狂気とか気狂いと言うことはできない。
主人公が狂う映画ではない。主人公がじぶん一人の掟で行動する映画ではない。集団のルールにしたがうようになった。したがうことのあいまいさ。「この」集団に「信仰」を見いだしてしまう。母も反対はしないだろう。そういう映画。
ギルデロイはマザコンだが、漁色家のサンティーニ監督もそうでないとは言いきれまい。どこかでかれらはつながっている。
この映画の監督は、ピーター・ストリックランド。