大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

飛梅・老松

吉祥寺寄席「室町 vs. 江戸! 能と落語!」に行く。落語は春風亭一猿、春風亭三朝春風亭一朝。特筆すべきはゲストの山中迓晶(がしょう)。能のひと。
春風亭一猿「一目上がり」のあとに高座が下げられ、山中迓晶が登場した。浅葱色の裃、そのしたの着物は白。印象的な衣裳に先ず眼をうばわれる。そしていきなりはじまる『老松』。
わからない。けど凄い。
間近で見る迫力にはそのような感想をいだきがちだけど、たくさんの情報が行き交っているこの人生で「わからない」ものはなかなか蓄積せず、へたすればすぐにわすれてしまう。ところが山中迓晶師は軽妙なトークで能をわかるものにした。
能面をつけていないのは略式である「仕舞」ゆえ。『アナと雪の女王』と「レット・イット・ゴー」のように、きちんと通せば長編映画一本くらいの長さになるが、ダイジェストで全容を想起させるときも。
「おめんをかぶる」と言うのはおおきな誤りで、正しくは「おもてをかける」。また能面は「彫る」のでなくて「面(おもて)を打つ」と表現する。同様に「鼓を打つ」。そこにはひとの作為を超えた、霊的ななにかがある。
非日常性が、面を要求する。「メアドを聞けるか聞けないか」と説明された。生きている義経だったらメールアドレスを交換できそうだから面は要らない。しんで霊となれば面を掛けることになる。あるいは絶世の美女。このばあいもメアドが聞けない。
物語ごとに中心となる存在がはっきり定まっているのが、おもしろいとおもった。
小道具の扇は、魔法の道具。ちいさい子たちに教える際は『ハリー・ポッター』と言うだけで扇でふざけるのを止めるという。
その扇で、大地から気を吸いあげる。周囲の気をあつめる。それを聴衆にかえす。


『老松』と『高砂』のストーリーがそっくり過ぎて笑えるという解説も、巧い。基本的な構造としては旅人がいて、名所にめちゃくちゃ詳しい人物があらわれる。こんなに詳しいのはじぶんが松の精霊だからと。
常緑樹である松は永遠を意味し、ひらいた扇は松に似ている。


春風亭三朝「星野屋」。
春風亭一朝船徳」。