大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

オカルトが大渋滞

その日ぐらし (PHP文庫)
オカルトについては、一人一派という気がする。世のなかを怖がって生きているひとに対しては「おばけなんていないよ」「にんげんをさらう宇宙人なんていないよ」と潰しておくけど、脳や色覚によって視ているものそれぞれはちがう。
この言いかたではまだ遠慮がちか。霊的なものと縁のある家系は存在する。杉浦日向子の家もそれ。


高橋克彦杉浦日向子の対談集、『その日ぐらし (PHP文庫)』(1991年)。高橋克彦のエッセンスがぎっちり詰まっている。「杉浦日向子と江戸」の一端を知るつもりが、「アダムスキーとジョン万次郎」「シャーリー・マクレーンと『ええじゃないか』」などトンデモがつぎつぎ繰りだされる。自作のネタバレも平気でする。高橋克彦、エンターテイナーだなあ。
1991年の本で、最終章は「1999年、地球維新は来るか?」。西丸震哉の『41歳寿命説』も話題にされていて。

高橋 一九九九年の問題というのは、確かに外に向かっていっている部分はあるんだけれど、基本的にはいつも自分の問題。一九九九年、あと十年しかないんだったら、おれはどういうふうに生きていけばいいのかということです。最近、こういうことばっかり言っているから、仲間からも仲間はずれにされて。なんか危ない奴だと。(笑)

高橋 僕の小説は、たいてい最後の瞬間にいっしょに死んでいく人間に巡り合っていくんです。

二人の、イメージのやりとりがある。高橋克彦は実直で、野暮。杉浦日向子はドライで都会的だ。
「それにしてもあがた(森魚)さんも高橋さんも、江戸っ子とはぜんぜんちがう価値観ですね。何かをしていくんだという気概を持っていらっしゃる。江戸っ子の価値観は、人間一生糞袋、食って寝て糞して、それでいいよというものでしたから」

杉浦 江戸の実態をひと言で言うと、汚くて狭くて暗いんですよね。それが、なぜ暗くて悪いんだとか、狭くちゃ悪いんだって感覚なんですね。別に、広くて明るくてきれいな家なんかに住みたくねえやっていうのがあって。でもいくら、汚くて狭くていいんだよ、と言ってもなかなか」現代には伝わらないですけど。(笑)
(……)
不便な快適さというのが、江戸の一番いいところというか、性格なんじゃないかと思うんです。

〈町というのは建物とか道ではなくて人なんですよ。住んでいる人でその町の色ができている〉と杉浦。ストレスをかんじないひとのあつまるところが都会だろう。
〈新しいものとだけうまくつき合っていく〉