役者の無垢で押し通すフシもあるが、良い舞台
ハイバイ『投げられやすい石』観る。舞台にでてきた俳優・山脇辰哉が観劇前の注意事項を語り、「始めます。2年前です」と話に入る。さいしょのばめんは青春、才能、イケイケの主要人物たち。
「天才」の佐藤(岩男海史)、「凡人」の山田(山脇辰哉)。佐藤の恋人であり、のちに山田と結婚する美紀(井上向日葵)。現代美術で評価されたがっている彼ら。
山田 美紀は佐藤の彼女で、絵の才能はなかったんですね。僕は実は彼女のことが、、、彼女の、、、なかなか地上に芽を出さない優しさや、時々仲間が発するエロい話に動揺してうつむく姿が、美しくて仕方ありませんでした。だからきっと、そういった優しさの欠けた佐藤は無意識に美紀を欲しがって、美紀も、自分にない肉感的な生き方のできる佐藤にあこがれていたのだと思います。僕にとって、美しくて仕方のない二人でした。
物語は、その2年後である。3人とも、すでに戦線から離脱している。
佐藤は失踪した。その佐藤から、山田は呼びだされる。佐藤は病に侵されて、死が近いようだった。
「山田描いた方がいいよ本気で(……)うん、バイトしながらでも良いから、描いてくれよ(……)俺はね、これを伝えるために来たんだよ。伝えるタメって言うか、お前に描かせるために病院出てきたんだから」
佐藤 あぁそう、俺が居なくなった後釜は佐々木?
山田 や別にそういうんじゃなくてね
佐藤 あいつじゃちょっと難しいね。
山田 ふふ
佐藤 お前に絵描けって言わないでしょあいつは
山田 うん、まあ
佐藤 そこがもうダメだもん
ああ
この演劇で「才能」を説明する詞は「発揮」や「発掘」である。「才能」に必要なのは〈描くこと〉はもちろんだが〈描くようにと懇願すること〉でもあるだろう。それが序盤で明かされている。ここでドラマは充たされたといってもいいようなものだ。物語にのこされたのは「佐藤の死」のみ。舞台の尺に合わせて「死」の具体性抽象性が変わってくる。『投げられやすい石』は90分。それに沿うた着地となる。
いまどきの危険な店員であると同時に、幻覚のなかの無慈悲な死神として、町田悠宇。
山田の役が、むずかしい。台本のことばをふつうになぞっていくと、流されやすくて残酷な凡人になる。遠慮と憎しみだけが発露する。
しかしそうなると佐藤もいて美紀もいた「あの」輝かしい時を冒頭に置いた意味がなくなる。過去が単なる感傷の材料となって「キラキラしたちょっと綺麗なガラスのかけら」に留まるだろう。
そうではない。3人でいた時間は特別なものだ。憧れもあり愛情もあり、野心や欲望だってある。挫折を挫折として受け容れるのもずいぶん大変なことのはず。
その辺りがプロローグと1場のアタマに溢れでて濃密だと、いっそう好みだった。
描けなくなったり、はじめから描かなかった者たちの無念を山田と美紀は背負っている。「女神」としての美紀には見せ場があたえられているが、山田にそういう科白はない。
それでも山田を演じる山脇辰哉はピュアで、佐藤とやり合うばめん、「お前は一体今なんなんだよ。俺は病人だよ。そろそろなんだよ」「俺はじゃあ、そのお前佐藤を、知っている人だよ」「は?なにそれ、そんなんでいいの?」のくだりで涙をながし声をおおきくする。山田のフラッシュバックが観客にも伝わる。