大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

迂回という最短

のぼる小寺さん

『のぼる小寺さん』(2020)。原作は珈琲という名のマンガ家による。監督古厩智之。脚本、吉田玲子。

登場する人物たち、すこしずつはみだしている。オタクであるとか、いじめられっ子だったとか。

伊藤健太郎の扱いがおおきい映画ではあるけれど、皆を等分にピックアップしていき輝かせた。

特に魅力をかんじたのは倉田梨乃(吉川愛)。学校外のトモダチと遊び歩いてるたぐいの不登校だから、大人びている。

そうではあるが、岐路にいる。みんなとおなじ。迷いがある。

“小寺さん的な日常”のまわりでめいめいの立ち位置が変わっていく。傍観者の近藤(伊藤健太郎)。写真が好きな田崎ありか(小野花梨)。小寺さん(工藤遥)の影響を受けていちばん好きなことと向きあうようになっていく。

小寺さんは実際的で清潔。ひたむきで天然。エロスやタナトスを司るような女神ではない。みんなとおなじ、はみだし者だ。

ボルダリング部の男子には両角周、田中偉登、鈴木仁。

鈴木仁の凄さに初めて触れた。小寺さんを好きそうな、そうでもなさそうな四条(よじょう)くんの役。

 

距離感の未熟なかれらがつよく同性を慕うばめんも多い。これらも小寺さんと近藤の恋ごころ同様に淡い。