大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

〈屋根の間をゆるゆると鷲だ〉  岡田幸生

岡田幸生の句集『無伴奏』。はじめに刊行されたのは1996年。文庫サイズの新版を、御本人から買うことができる。

「序」で北田傀子が書いている。

短時日のうちに随句(自由律俳句)というものの、いわば息遣いがのみこまれたようで、私は目を見張る思いがした。随句がわかるかわからないかは体質の問題であって、今の若者(特に男性)にそんなものは実在していないような気がしていたのだったが、それが受けいれられる体質の若者が突然目の前に現れて私は驚いたのである。

私の考え方は難しくない。句は一種の「ひらめき」(肉体感覚の)で、それは理屈で説明し得ないいわば「無条件」である。したがって随句は文章によらず韻となる。「ひらめき」は瞬時であるから句は最短の韻文(三節)となる〉

〈心優しいということには白紙の状態に通じるものがあるのか、それとも「理屈でない」ということと共通するものがあるのだろうか。句人としての成功の鍵はあんがいそんなところにあるのかとも思える〉

 

短詩の本はすぐに買えなくなってしまうので、こういうかたちで手にとれることが先ず嬉しい。

そして一句目から感動的。

青空と雪解け水の音ばかりする

 

好みに任せて引いてみる。

春の陽を吸って吐いた

日差しの辞書がぬくもっている

 

赤いつつじの黒い揚羽よ

 

熱帯夜の冷蔵庫が黙った

 

あかるいうちには帰りつけない秋になる

スケッチブックのいちょうの匂いだ

 

みかんいろのみかんらしくうずもれている

爪を切った指が長い

玄関あいて粉雪

停電の部屋を泳いだ

あたたかい布団のなかの無重力

雪ひらがなでふってきた

 

岡田幸生、三十代前半の句たち。

いまどんな句を詠むのだろう。