大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

〈芸術が美を拒否した時から、ぼくは翻訳が可能になったと思う〉  安部公房

発想の周辺―安部公房対談集 (1974年)

安部 私なんかの体験ですと、一番自分のプロセスがわかるのは芝居なんです。観客が直接的だからでしょうね。それを見ますと、だいたいテーマを思いついてそれがものになるのに二年かかる。最初はなんというかな、読者としてある現実を見るんですよ。まだ読んだことのない、新しい本を買ったようなものだ。そのうちにそれが自分自身のものに変って、自分自身のなかでものが展開していく、本当に自分のものに変るのに二年くらいかかりますよ。絶えず作者と読者の間を往復しているわけです。その場合に結局さっきおっしゃった内言語が問題になってくるわけでしょう。自然を認識する、外部を認識するための道具としての、言語と、コミュニケーションとしての言語ですね。ちょうどこれは、メダルの裏表ですが自然認識を縦軸にすれば、コミュニケーションを横軸にして、縦横の軸でもってきめられていくと思うんですが、その場合になんというかな、この言語の立体構造を無視して、一方だけで割切ってしまう傾向がつよい。たとえば、コミュニケーション一点張りだと、ステロタイプをこわす創造の面が消える、そこから通俗大衆路線も出てくるわけです。一方では自分自身のために、ということを強調すれば、コミュニケーションが抜けてしまうわけです。

発想の周辺―安部公房対談集 (1974年)



岡本太郎人工衛星がまずソ連で上ったということは非常に象徴的だね。資本主義の限界と社会主義の持っている可能性というようなものが時間のズレになって象徴的に出て来たわけだ。社会主義社会の行動性のすばらしさと同時に恐ろしさ」