大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

魔痢子「何もかも、妄想なのです」

最後に生き残った者たちは激昂し、それまでは従順で高潔だった息子が父を殺す。禁欲家は近親者たちの肛門を掘る。淫蕩な者は純粋になる。守銭奴は金貨を鷲づかみにして窓から投げ捨てる。戦争の英雄はかつて命がけで救った町を焼き払う。上品な者は着飾って死体捨て場の上を歩きまわりに行く。

 

  アントナン・アルトー「演劇とペスト」

演劇実験室◎万有引力「√何か面白いことはないかと劇場に出かける 『疱瘡譚または伝染する劇』」を観る。【言語】寺山修司 【演出・音楽】J・A・シーザー 【共同演出】高田恵篤 小林桂太。

 

寺山修司『疫病流行記』とアントナン・アルトー『演劇とその分身』(なかでも「演劇とペスト」)の画になるところを抽出して、60分ほどの作品にした。いま、おおきなものはつくれないし、つくる意味もないだろう。観客を2時間拘束することの不利益だってある。サイズとしてはこれくらいを適当とみるべきだろう。

テープレコーダーとの対話は『奴婢訓』をおもわせた。引用。全貌をあらわさぬ影の侵入。片鱗も劇であり、逸脱は愛しいが、そういうムダやアソビを詰めこみつつなんとか60分に抑えたようだ。

イデアがこちらを覗き見る舞台装置に満ちていながら、どことなく素舞台の印象があったのは、ザ・スズナリの板張舞台のせいばかりではないだろう。小道具がすくない。色としては黒と赤の使用も極めて限定的である。俳優はさまざまなマスクをつけている。観客は皆、衝立(ついたて)によって孤立して、舞台に呑まれそうで呑まれない。一寸稽古場にいる気もした。稽古場の息づかい。それはそれで肯定できるものである。

記憶の伝染、楕円の錐体

入場時の検温・消毒が無言で行われるのが万有引力らしくて良かった。紗幕を用いた演出、映像、書物の引用はポップだった。俳優悉く色っぽかった。

『疫病流行記』にはデフォーのエピグラム。それももちろん照射された。〈疫病患者の出た家の扉は、すべて釘づけにされた。そして釘づけにされた扉の中では、新しい世界がはじまっていたのだった〉

帰ってセックスして寝た。