大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

根本豊による『五月の鷹』。以来の、

夢精して目が覚めた。万有引力こわい。春風亭一之輔の『鼠穴』(「落語ディーパー」)聴いて、スズナリに行く。席に着くと舞台では高田恵篤が首に縄を巻いていた。『鼠穴』もそんな話だ。『鼠穴』の主人公は若いが、リア王みたいなものだ。なにもかもうしなってしまうのだ。

予算は半減しているはずなのに、万有引力のプログラムは二本、いや「√何か面白いことはないかと劇場に出かける 『眼球譚または迷宮する劇』」のほうは日替わりだから何倍もの手数をだしてくる。

きょうは「《其の八》 舞動【TIMEWIND】」だった。『疱瘡譚』から一転して、台詞のすくない舞踏である。すごいものを観た。ベテラン俳優・高田恵篤の舞踏を目に焼きつける。〈釘づけにされた扉の中では、新しい世界がはじまっていたのだった〉(デフォー)──胎動。狼煙を上げたのだ。

『疱瘡譚』で《病気》はつよいものだった。《あたしはあなたの病気です》というわけだ。ところが『眼球譚または迷宮する劇』では《病気》はよわいもの、弱者としてあつかわれる。病気でしかない病気は虐げられる。皆が酒を愉しむバーで《病気》は邪険にされる。

「自己軟禁の男」や「箱男」のような在りかたが、この『迷宮する劇』では「かたつむり」として再解釈される。数すくない台詞に「かたつむりは神話的な意味を持っているのよ」云々というものがあるが、これを検索してみるとどうも大変に著名な作家の小説にそのくだりがあるらく、驚き呆れ、笑ってしまった。こういう大胆さ、俳味が演劇実験室◎万有引力だなあと嬉しい。

『疱瘡譚または伝染する劇』では密室が蔓延していくが、『眼球譚または迷宮する劇』中の舞踏においては病気も、俳優も、観客も《家出》を示唆される。ちいさなせかいで「ごっこあそび」にかまけるのはおしまいにしろと。つよく、ラディカルなものを受けとった。

科白のほとんどない舞踏ゆえ、演者はマスクをしておらず、それはそれは生ま生ましく美しく、さまざま識別でき、胸が高鳴る。

つぎの公演もぜったい観ようとおもわせる。未来を約束してくれる。それが中毒性というものだ。きちんと若手が育っていることにも感動する。