大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

「君、これは音楽だよ。日常ではないんだ。音楽の中に定価なんて日常用品が入りこんでいいものだろうか」  『ガラスの少尉』

戯曲 唐版 滝の白糸 他二篇 (角川文庫)

唐十郎『唐版 滝の白糸 他二篇』。収められているのは表題作と、「由比正雪」「ガラスの少尉」。

銀メガネ あたしは異化の旅を恐れ気もなく志していたのかもしれない。袋小路に追いつめた者達が、その風情を異口同音にののしった時、あたしは異化のほうきにまたがって、君と一緒に空を飛んでどんなに逃げおおせたかったことか。

 

    「唐版 滝の白糸」

十歳の少年・アリダをさらった銀メガネ。出所し、成長したアリダとゴースト・タウンで再会する。

「情念」を、どのように扱うか。ニンゲンの感情に根を張る「情念」は、明晰な言葉で論理的に語られたところでかんたんには説得されず、澱(おり)としてのこる。蒙昧で、強情な「情念」を置いてきぼりにしないために「詩」が要る。

「美しい人が錯乱するといつも杏(あんず)を思います」とか「こうして俺達は間もなくすべりだすジュウタンを待っているんじゃないか。空飛ぶジュウタンを!」と唐十郎はコトバで視覚を刺激する。今いる場所をズラしにかかる。

アリダの兄と心中未遂した、お甲がアリダに無心する。そのカネを銀メガネが狙う。さらには「クロレラ酵素を乳酸菌で味つけるのに成功した『羊水』」の販路を確保しようとする羊水屋、お甲と巡業する小人プロレスの一団が、アリダたちの「状況」を揺さぶってくる。

滝の白糸は水芸を披露する水商売の人である。その困窮と売血がするするとつながっていき、「復讐」という言葉が浮かびあがる。

情念が増幅し、水芸となって受け手を圧倒する。

 

次いで自由に創られた「由比正雪」。登場するのは柳生十兵衛、金井半兵衛、丸橋忠弥と夜タカ、かごかき、岡っ引。

柳生十兵衛は「剣にとって美とは何か」と悩んでいる。

半兵衛 悩む十兵衛など、俺は嫌いだ。

十兵衛 嫌いで結構。

半兵衛 おまえが悩んだところで歴史が変わるわけじゃあるまいし。

唐十郎の世界には半畳を入れる人物がいる。まともなことを言ってくるのだ。そんなことはわかってる。それでも妄念を抱えて突き進まざるを得ぬ「宿命」の愚かさが愛しい。

十兵衛 半兵衛、世の中は、決して、インサイダー、アウトサイダーと区切れぬことをよくおぼえておけ、俺のように、正道の表玄関に生まれながらも、裏道をゆくものだってこの世にゃいるのだ。

 

正雪 この川面の果てを見たまえ。この暗い沖が明日の江戸さ。大川端のらんちき騒ぎに花の吉原、それがいったい何の証しだと思われる。繁栄と貧困はすぐとなり合わせに坐っているものさ。巷には牢士がさまよい、今日の職、明日の職を求めて町の底はアビ叫喚。日雇い人足さえ浪人者は雇ってくれぬ。あぶれあぶれて江戸にゃ十万の浪人者がひしめきあっているのだ。

島原の乱を見てきたと由比正雪は言う。

正雪 天草一党の全滅は誰でも知ろう。しかし誰も知らぬ事実がある。それは裏切りだ。天草の全滅がわかるや否や死地に追いやられむごたらしく殺されたのは、功あらばとかけつけた浪人部隊よ。わかるか、これが権力の本体だ。これが江戸さ。俺は島原の戦場をかけめぐって何もかも見てきたのだ。あの島原の地獄ヶ原を知っているのはこの俺とからすのほかにいない。

忠弥 きさまは知らぬさ、島原を。

正雪 何といった?!

忠弥 幻想さ。

出自のはっきりしない由比正雪はフィクション向きの人物で、唐十郎ごのみだろう。天草とのつながりというような、由比正雪のデタラメに斬りこみながら己の嘘を半分まぜる。話がねじれる。ねじれて渦となれば物語は、昇りはじめる。

 

「ガラスの少尉」は典型的に唐十郎で、美しい。

ガラス工場で働くミノミのという名の少女は、インドネシアの森深くで眠るガランスでもある。工場の上司は森を探索する隊長だ。真実なる情念をもとめて時空を行き来する。

「立つ生が死として横たわり、横たわる死者が立って私たちをジャングルに案内するのです」と。

隊長 面倒くさい。何もかも面倒くさい。手にとるもの、開ける口、流しこむもの、何もかも面倒くさい。夜は更けて、月も傾こうというのに、ちくしょう、俺ののどの中では、あのお天道さまが燃えている。この悪寒、この悪寒の底で燃えている妙な夏。だれか、俺ののどに雪を降らせてくれ。菊田君、雪だ。南の島に雪だ。

 

少女 さあ、刺してごらん。予測を越えた不可抗力に。おまえに射ちぬかれてただれる胸の傷口にそれを刺し込んでこみあげる真っ赤な不可抗力に止どめをさしてしまえ。36度5分を絶対零度に。リンゴの匂いにまるわるさまざまな幻をただの悪寒に。あなたのためのガランスをミノミに。