大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

〈丹下左膳とターザンは、洋の東西で期せずして現れた似たような存在であった〉

なつかしい芸人たち(新潮文庫) 色川武大なつかしい芸人たち(新潮文庫)』。タイトルがすでに懐古的だから、この書影の素ッ気なさが佳い。旧い単行本のように俳優の写真が使ってあると近づきにくくなる。
だれかを貶めるというわけじゃないけれど、批評には比べ、並べるところがある。たとえば入江たか子について〈あまり美人すぎて、悪夢の中に出てきそうで、どうも私は苦手だった〉と色川武大は書く。
〈鈴木澄子には、そういう美しすぎる怖さはない。もっと泥臭い妖婦(ヴァンプ)型で、しかしどことなく不吉な顔をしていた〉


《なつかしい》。時間的に距(へだ)たっているから、ときに俯瞰するような色川武大が文章がじつに活きてくる。緻密だが、情念を帯びることはすくなくて、ドライな書きぶり。
『なつかしい芸人たち』の文章は、批評的でありながらも苛々していない。

高屋朗の哀しい晩年のことは根ほり葉ほり訊きたくない。なにしろ、うわッつらのことをいえば、若くて人気が先行して、芸の仕込みをしなかったのがいけない、とか、戦地での空白もあったにしろ時勢を見る眼がなく、楽天的すぎた、とか、なんとでもいえるのである。

役者はどこで花を開くかわからない。また、巧拙ということも簡単には定められない。

タレントの興亡もなかなかドラマティックである。一番華やかで、明るかった清水金一が、若さを失うとともに、早く失墜した。岸田一夫はヒネリ球を投げすぎて、肩をこわした投手のごとくなった。
持ち味が小さくていかず、大きすぎても持続がむずかしい。


二村定一のエピソードもおもしろい。
〈二村の伝説はたくさんある。大巨根伝説。荷馬車の馬がおじぎをした話。楽屋風呂で熱い湯を流したら、桶に腰かけていた二村が、アチチ、と飛びあがったという話。作り話であろう。男色家として有名な二村が巨根だという点に、作ったコクがある〉
〈彼の相手はスマートな慶応ボーイたちで、後に彼の葬式も、かつての大学生たちがとりしきったという〉

復帰の“らくだの馬さん”が終わらないうち、田島(辰夫)のアパートで、夜中に血を吐いた。入り口の三和土にしゃがんで、両手に吐いた血を、臆病そうに眺めていた。
「明日から、酒が呑めなくなるかなァ」
といったという。
病院に運んだら、医者が、ここまでなぜ放(ほ)っといた、と叱った。今日でいう肝硬変の動脈瘤出血で、二日後に亡くなった。四十九歳で、意外に若かった。