大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

〈彼らは二人で笑いあいつつ、ある共通の考えの中で次第次第に結びついていった。つまり、自分たちの性別の破壊という考えだ〉  ラシルド「ムッシュー・ヴィーナス」

特別な友情 :フランスBL小説セレクション (新潮文庫)

シンポジウム「『フランスBL小説セレクション 特別な友情』刊行記念 仏文×BLのただならぬ関係」に行く。

このアンソロジー『特別な友情』は、映画『悲しみの天使』の原作であるロジェ・ペールフィット『特別な友情』の本邦初訳がウリなのだけど、抄訳にとどまっているのは小説としての完成度の低さゆえ。力の抜きどころというものがなくて、書きこみ過ぎているらしい。

ほかはジッド、ランボーコクトーに抄訳の『チボー家の人々』『失われた時を求めて』『泥棒日記』など入門に最適、大学におけるシンポジウムも入場者の顔もういういしかった。

諸作品の合間に紹介された映画は『太陽と月に背いて』『詩人の血』『見出された時』『悲しみの天使』と手に入れるのはむずかしいが鉄板の並び。

そういう初級者向けのイベントに足をはこぶことにしたのは、訳者の一人に芳川泰久がいたから。

昔日、芳川先生の授業を盗み聞きしていた。そのテクスト論は繊細なはずである。にもかかわらず論者にはマチズモが多く、近年には晩節を汚すニュースも。

そのなかで芳川先生はどうされているか。先生には多分にファン気質のところあり、マッチョとは縁遠いとおもうけれども、それにしても、BL──どのように向かい、訳されたのか。

 

結論からいうと懐かしく、また頼もしかった。その語り口は三遊亭円丈みたいだった。森井良、中島万紀子とともにコスプレして登壇した。寄宿学校ふうの赤いリボンに金髪のウィッグ。芳川泰久、やわらかかった。

病気をされたと言う。そして今度のBLとしての訳出。だんだんと自由に、アグレッシブになってきていると。いまも。硬直することなく。

芳川泰久が担当した小説のひとつがプルースト失われた時を求めて』(のなかの「ソドムとゴモラⅠ」(のなかの一部))だが、あやまたずニュアンスを伝えるための自由な訳として原文にない三、四行の創作がある。

BLよりは耽美の傾向がつよい芳川泰久は、登場人物の死から書き起こすような物語性を好みもするので、じぶんの噂を立ち聞きすることになる「ぼく」の胸中に踏みこまざるを得ない。それを挿入した。

巻末の解説は森井良の名によるものだが、プルーストの項、〈「ブルジョワの若僧」とは誰のことなのか、いままでの先行訳ではこの点をはっきりとはさせていません。しかしここは男爵が立ち聞きされているとも知らず、「ぼく」のことを噂している箇所でしょうし、文脈から考えると、それまで蚊帳の外で盗み見ていた無名の語り手が登場人物から不意打ちをくらう瞬間なのです。今回の翻訳では、そういった「言わないけどここはわかってね!」という文脈をあえて訳文に反映させることで、プルーストが仕掛けたトリックの妙を際立たせようと試みました〉と。

 

ラシルド「ムッシュー・ヴィーナス」は生物学的には女性と男性。男性的な女性と女性的な男性の物語である。その名に震える。

男性のほうはジャック(ジャジャ)。女性は、ラウール。