大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

〈本だけが、この世のすべてではなかった。金だけが人の幸せを作るのではなかった〉  出久根達郎

逢わばや見ばや (講談社文庫)

私は十五歳、中学を卒業するとたった一人で上京した。昭和三十四年三月三十日、と日付を覚えているのは、翌日が私の誕生日だったからである。従って厳密には十四歳最後の日に上京したことになる。

出久根達郎『逢わばや見ばや』。エッセイふうに短く区切られているが、小説でありこれとは別に「完結編」もあるという。

集団就職のかたちで東京、月島にやってきた少年時代の出久根達郎。〈私の家は生活保護を受けていた〉

〈上京当日、私は初めて両親に就職の件をうちあけた。出立(しゅったつ)は数時間後だと告げると、両親は仰天した〉

 

行動力がある。それで笑い話のように披露される失敗がいくつもあるけれど、出久根少年は運も良いし、東京を楽しんだ。

東京の正月が珍しくて、私は上京して三年間は田舎に帰らなかった。

本当のことを言えば、酒の味を覚えたからである。

 

若気のすばらしさは、自分がやっていることを少しも馬鹿げたことだと思わないどころか、熱中して楽しんでいる。大層な事業をすすめているようなつもりである。

日比谷図書館で辞典を書写してみたり、井伏鱒二に意見するような手紙を送って、会いにも行く。三浦哲郎の家を訪う。

そういったことをおおきくも、ちいさくもなく書き記す。

私のいる店の近所に小さな町工場があって、昼休みになると、私と同い年ほどの男子工員が五、六人、塀に背をもたれて日なたぼっこをしているのだが、彼らを勧誘する党員の姿を何度も見た。しかし工員たちはまるで興味なさそうだった。能面のような表情で、誰もが、あらぬ方を見ているだけだった。若い女性が通りかかると、その時だけ、彼らの目が光った。

 

歌舞伎や落語、切手収集など夢中になったものの話も好い。歌舞伎は〈何よりも色彩の美しさに感動した。あでやかな色が、ゆったりと動くことに目を見はった〉。落語は、古今亭志ん生

〈強いて言うなら、色気がある。芸人の場合は、華、と言うのだろうか。足の運びが照れているようで、なんとも愛嬌がある〉

 

身近なひとたちのことも敬意をもって記す。まじめな回顧録だとおもう。

まわりに内緒で歌のコンクールに応募する静ちゃん、魚河岸で働いたあとに居合稽古に励む中島君、そのほかにも皆短文のなかで印象的にえがかれる。