大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

〈時々、自分の人生を「物」みたいに、客観的に考えるの〉  田村セツコ

人生はごちそう

イラストレーターとしてお仕事する前、私は銀行員だったの。周りの人はみんなすごく優しくて、でもイラストを仕事にしたいと思ったから、自分の希望で退職したの。

家族には、「愚痴は言いません。後悔しません。経済的負担はかけません」と誓って辞めたから、イラストのお仕事がどんなに大変でも、家族に「どうだった?」って聞かれたら、「すごいうまくいってる」って嘘ついてたわ(笑)。

その代わり、日記帳には随分いろいろと、ありのままに書いてた。

日記帳は、話し相手であり、親友であり、お医者さまでもあったの。

田村セツコ『人生はごちそう』。ほどほどに呑んで、アレンジするかんじ。たとえば「忘れる練習・田舎の勉強・京の昼寝」というのは「忘れる練習」と「田舎の勉強より京の昼寝」を田村セツコ流にまとめたもの。ぽんと完成形がでてくる。過程にこだわらぬつよさ。ニーチェやアランを拾い読みして気ままに取りいれていくのは子供っぽくて大人っぽい。学生の硬さと縁遠いのは、追求をしないから。

〈贅沢ぎらいで、屋根裏部屋の苦学生のような生き方がしたいの。

屋根裏部屋の苦学生の本と珈琲を前にして暮らしてるイメージが大好き〉

〈説明するのが大変なときは、「それが趣味なのよ」って言えばいいわけ〉

一度、風流な男性に出会ったことがあるの。

ある人が同じ年代の人よりも若く見えるその男性に、「○○さんと同い年なんですか。お若く見えますね」って言ったら、彼が「いやいや、僕は金を持ってないんで」って返されたの。

彼が言うには、お金持ちになると用心深くなって老けちゃうんだって(笑)。

 

完璧を目指すことは個人の自由だけど、目指すことによって、その人は窮屈で神経質な感じになって、眉間にシワが寄ったり、イライラしたりする……。

なんだかそういうのは、とってももったいないと思うの。

それに、そうなると逆に完璧から遠ざかっちゃうわ。残念ね。

 

〈物事や人生で得しようと思うのは、元気な証拠っていう感じはあるけど、損することを厭(いと)わない、イヤがらないっていう心の広い、気楽な気持ち・心構えでいるといいわね〉

〈得するより損するほうがカッコいいとかそういうのじゃなくて、軽くてお洒落っていう感じかな〉

〈握ったままだと、何も得られないもの〉

 

ふわり、とした性分のほうがするどくもなれるのだろう。忙しくみえてもずっとおなじ回転数というひともいる。とっさのときの集中力や飛翔、沈潜。メリハリというのはどこかだらけたところが要る。