大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

「♪この晴れた土曜に、グチャな、グチャな、グチャなものを見に来てくれて……偉い」  近藤良平

近藤良平黒田育世『私の恋人』観る。演出、振付は二人で。初演は2004年。

黒田育世のダンスはどこで観ても悲劇過ぎず、喜劇過ぎず、おもしろい。それがふしぎだったけれども、幾度も再演されてきたこの共演作で謎が解けた。プロレス頭だ。

キャッチーな近藤良平に当然それ(プロレスリングが持つ奇想と行動力)はあって、黒田育世も身体表現の過酷さと共に自由をはぐくんできたのだろう。観ている側がおどろく表現と、展開。

舞台奥。搬入の戸がおおきく引かれてはじまるマチネ、明るい街路の借景である。そこには、自転車で二人乗りする幸福そうな近藤良平黒田育世。さりげないがじゅうぶんに非日常で、可笑しくて、嬉しくなる。

くつろいだ世界観。コンビニの菓子パンや電子レンジと小道具はカジュアルだがモノローグの詩情は重苦しく、女声の憂愁がかんじられる。男は日常に満足しており、じぶんの不備やあいての不満に気づけない。

女は、怒りのあまり理性を失くし、ゾンビと化す。それでも買い物だとか分配の欲求はどこかにのこっているらしい。男が吹く笛にあやつられる格好で、女は客席を練りあるく。観客に菓子や飲料をくばるのだ。

研ぎ澄ましていくだけでは起こらぬことが次々観られる。近藤良平が「SDGs……」と何度も呟く。物質的蕩尽。脇道に逸れながらもこれは恋人の物語なので、終盤はロミオとジュリエットよろしく仮死したあいてとの対話となる。小道具大道具は視界から消え舞台の透明性が増す。

最後のダンス(盛装)も美しい。