大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

生きるということが拡散にあるとするならば、カメレオンは生きていない。

EYESCREAM(アイスクリーム) 2016年 04 月号
EYESCREAM(アイスクリーム) 2016年 04 月号』、表紙は浅野忠信荒木経惟。浅野、「僕みたいな俳優にとってはすごくやりやすいです。他のカメラマンの方は指示があっても、それはただ見た目を切り取りたいだけの場合が多いので。そうではなくて、そこにいる人間がどう生きているのかっていう部分を撮ってくれているんですよね」
雑誌の特集は〈反抗者(レベルズ)たちのスタイル。〉、〈不良の肖像〉。
浅野は横浜の不良について「ただグレてるやつらは、よくわからないファッションとか髪型だったりするんだけど、本当に悪い人たちっていうのはお洒落なんです。それを不良と言っていいかわからないですけど“誰かではない何か”でしたよね」。
「たくさんいましたね。横浜っていう名前や土地柄が、居心地をよくさせてくれていた部分はあるので」


中村のん「1970年代 原宿」のページ目当てで買った。その文章はネットでも読めるのだけど、テーマを《不良》としたときに土地ごとにどうちがってくるのか。原宿は「新しいことを、まさに誰もやっていないことを、クールにやりたい。何かに反発してとかじゃなくて、あくまでクールにやりたいと思っている人たちが集まってたんじゃないかなって」
「背伸びしてましたね、みんな。背伸びしてたのは着るものとか見かけだけじゃなくて、大人のクリエイターたちからバカにされないようにっていうか、一目置かれるようにいろいろ本を読んでおこう、映画を観ておこう、音楽聴いておこうっていうのがありました」


Zeebraの「1980年代 渋谷」も美しい。「80年代の半ばくらいの高校生パーティーはね、みんな六本木でやってたんだ。渋谷のディスコはダサいってなってたんだよね」
だけど日常としては渋谷に溜まってた。そこで交流が生まれていた。
「そうなると、六本木行かないで渋谷そのまま居ちゃおうかっていうのが少しずつ流行ってきたんだ。そもそも六本木って地べた座っていられるところがないし、外であんまりたむろ出来ない」
「デカいヘッドフォンして街で歩いているのは多分、俺が日本で一番初めてだと思う」、「街でそうやって歩いてる奴一人も見たことない、俺はするぜってやりだしたの覚えてる」
「確かに恵まれた環境にあった東京の私立の学生の話でもあるんだけど、それよりは港区とか渋谷区とか、ギュッとした『街』の子たちの話でもあるんだよね」