『少年たち』
映画『少年たち』観た。美しかった。胸を衝かれた。
物語の理想としては、環境から切り離された個性によってドラマが展開するべきだろうとおもうけれども、少年という概念は飢餓感や孤独を呼び寄せずにはおかないわけで、映画らしくいくらか話の筋をみせるために事件がさまざま回想される。
それらも要約というよりは断面だったから、映画でありつつも舞台。とりどりの世界を詰め合わせたレビューの匂いに心がやわらかくなる。
序盤で「なんでみんな喧嘩ばかりするんだろう」と独白あって、もう、ここで泣く。ジャニーさんの世界観でしょう。それをジャニーズJr.全員共有できている。あたえられた歌や踊りに疑いをもたない。信じる。『ジャニーズJr.チャンネル』でSixTONESのグループ名改名ドッキリというのがあったけど、そこで松村北斗が「俺たぶん、一年半ガマンすれば慣れると思う」とすぐに受け容れたのが凄かった、あの感じ。
映画に合わせた回では京本大我が「ジャニーさんの想い」「タイミング」と言っていた。パンフレットの座談会もそう。
森本 毎回「少年たち」で初心に返ってる。
高地 そういう感じある。「少年たち」ってジャニーズの舞台では珍しく、自分たちでやりたいことを提案できる作品なんだよね。そういう意味での大きさは譲れないものがある。
田中 社長から「ユーたち、何を考えているの? 考えているなら教えてよ」って聞かれて、それがそのまま形になったりとかね。
ジェシー ジャニーズの舞台の中でいちばんリアルじゃないかな。ジャニーさんの経験もいっぱい入っているわけだから。
ジェシーの「仲間だろ」という科白もとても好かった。あれは唐突どころか再確認なのであり、エピソードやドラマの不足をみるのは恵まれたひとたちだ。
おなじ部屋になったら、仲間である。愛に飢えてシンプルな人生をもとめる感覚──いまだったらサイコパスと呼ばれそうな──、一宿一飯の恩義と一期一会の冷酷さを同居させた物語不要の少年性がリアルだった。これを理解できているジャニーズの子たちはやっぱりどこかアウトサイダーなんだろうともおもった。
京本大我、きれいだった。
西畑大吾にはテレビや雑誌とちがった男っぽさがあった。
ダンスパートにでてくる長尾謙杜を必死に見た。
渡辺翔太良かった。映画パンフ、プログラムでこの作品を「“歴史あるもの”と“初めてのもの”が一つになった」とコメントしていたのもみごと。
キャリアがあれば役と台詞を、そうでないJr.は顔見世として麗しいところという役割分担も成功していた。ばめんをスイッチさせる登場人物の一人、クロ(中村嶺亜)がでてきていきなりしぬのも印象的だったけれど、さいごのさいごでHiHi Jets、美 少年らが登場し踊るのは夢のようだったから、観ていて大泣き。正直キラキラのかれらにもドラマを演ってもらいたかったし、もっと言えばいまより幼かったころの北山君や藤ヶ谷君がキャスティングされた世界を空想したりもした。そういう、ありもしないものを欲望させる豊穣さが映画『少年たち』にはあった。