〈最後に目を見合わせたのは今年のはじめで、もう戦後三十年になっていた。私は久し振りにその顔を見て、ああこれはもうだいぶ死んだなと思わされた。父の顔もこちらをじっと見つめながら、もうだいぶ死んだよといっているようだった〉
港が父の仕事場だった。そういうと捩り鉢巻に赤銅色のガッシリと肩の張った男などを思うけれど、父はある倉庫会社に勤務するふつうの気の弱いサラリーマンだった。東京からはじまって四日市、名古屋、横浜、芦屋、門司と転勤のたびに少しずつ出世していって、大分でそれが止まった。終戦だった。それからは勤めを変えるたびに落ちぶれていき、背中はだんだん貧乏に打ちひしがれて、どんどん丸くしぼんでいった。そういう戦後の混乱に落ち込んでしまったときに、それに太刀打ちする用意というのが父にはまるでなかったのだ。そういう混乱がなかったとしたら、たぶん順調に幸せになっていたのだろう。だけど世の中というのはそうは出来ていなかった。
尾辻克彦(赤瀬川原平)『父が消えた』。サブタイトルに「五つの短篇小説」。表題作のほかに「星に触わる」「猫が近づく」「自宅の蠢き」「お湯の音」が収められている。
かなりな純文学、私小説の匂いする。絵空事や美談でなく、どうやらご自身の話の様子。SF、童話寄りの話もあるけどその入口にもリアルは要る。
随筆的な書きぶりが効いているところは多い。冗舌が過ぎて小説の足を引っぱっている箇所もある。それでも全体としては佳い。
幼少期は貧しく、中年に到った「私」は小学校に通う娘との二人暮らし。
娘のでてこない話にも、童心はあふれている。それが「私」を支えてきたのかもしれない。
子供のころ、町の中を通る荷馬車のうしろに、こっそり飛び乗って遊んでいた。私にはそれが旅行のはじまりだったと思う。自分の足を動かさなくても、乗っている物がひとりでに動いて行く。それがじつに楽しいのだ。
平たい町には楽しみがない。何か仕事だけがギッシリと詰まっているようだ。坂のある町には冒険がある。
いずれも「父が消えた」。さまざまに想い、眼前のものを迂回しながら綴られる。多摩の都営墓地を見学する話である。
闇と物質。フェティシズム。五つの短篇を貫いているのはそういうものだろうか。
「星に触わる」は天文と、ガリ版と、カメラのことが絡みあってところどころやばい。アナロジーとしても、時間的空間的にみても恐ろしく、若山八十「謄写印刷ハンドブック」の引用もみごとなのだ。
「私は謄写の文字をやろうとなさる方に、よくあなたの性格はしつこい型ですか、飽きっぽい型ですかと無遠慮にたずねます。これはいちおうこの仕事の適性の尺度になるもので、だいたいにおいて鈍重型のほうが、向いているようです。才子型は当座はよくても、つねに右こ左べんして、落ちつきがなく、持続ということに、いたたまれなくなるために、ついには、逃げだしてしまいます」
「仕事といえば、いそぎのものばかりで、一日じゅう机の前に根をはやす、すなわち植物生活を、いとなまねばなりません。それが、夜と昼の区別もなく過ぎては、いかなる人間でも、悲鳴をあげないわけにはいかないのです。ゆえにこの持続力になれたころは、その人は、そうとう病的なゆがんだ性格になっており、外側にもその表現がみられるようにまでなります。ひとくちに持続力といっても、この仕事の異様さは、まったく言語にぜっするものがあると思います。この道の人は、これを人間酷使となづけ、嘲笑をもって、自ら慰めています」
私たちはこれを読んで、アングリと口が開いた。ドングリ目も開いたまま、顔全体が茫然としていた。昭和三十年といえば、戦後の十年目、こういう教則本が出版されるくらいだから、ガリ版は隆盛であったのだろう。そのさなかにおいてのこれである。私たちはまだドングリ目が開いたままだった。何というか、この言葉、頂上をきわめたものだけが知る、ドン底の喜び。
「星に触わる」
「自宅の蠢き」の冒頭は威勢が良い。
「A月A日(晴) 自宅なんか糞っ喰らえ! 私は思い切って外に出た」
どの短篇も、形容にずらしがあって巧い。
なにかを定義するのにも気概がある。
「プラスチックはどうしてもポップになってしまって、何というか、所有できない」(「星に触わる」)
「考えてみればこの地球の全体が閉所である」(「猫が近づく」)