どこへ逃げたら? 何も悪いことをした覚えはない。いいえ、この世に生きているのだ、ここでは、悪いことをして、かえって賞(ほ)められ、よいことをして、危ない目にあい、ばか呼ばわりもされかねない、そうだとすれば、悪いことをした覚えはないなどと、所詮は女の愚痴でしかないのか?
ジョエル・コーエン監督『マクベス』観る。Apple TV+ 配信のまえに、劇場で公開されている由。
1時間45分。尺が良い。疾走感に心臓が潰れる。
舞台劇の趣を保ちつつ、臨場感凄く、確かな演技と演出。クセから来る人間味。シェイクスピアに挑むと物語にからめとられて名言のように科白してしまい人物が消えることもあるけれど、吐いた嘘が見る間に腐り、虚飾を欲する人間の裸の野蛮さがあらわになるのがおもしろさだ。デンゼル・ワシントン(マクベス)、フランシス・マクドーマンド(マクベス夫人)、バーティ・カーヴェル(バンクォー)、アレックス・ハッセル(ロス)、コーリー・ホーキンズ(マクダフ)、ハリー・メリング(マルカム)ら皆生ま生ましい。
バンクォーの息子フリーランス(ルーカス・バーカー)も幼く、凛々しく、怯えもみせて。
空の高さ。旋回する大鴉。見あげている、とおもうとその先は地上である。キャスリン・ハンターが三人の魔女を一人で演る。魔女の幻影性は三人で舞台いっぱい使いたくなるもの。そこを一人、というのは映像のほうが発想しやすいだろう。研ぎ澄まされていく古典。終盤、討ち取られるマクベスの画もするどい。
印象にのこったのはマクベスからとどいた夫人への手紙。読み終えて、手許に置いておけぬ夫人は上端に火をつける。それを、バルコニーから夜空へ放つ。焰を羽ばたかせて上昇する手紙。星々に紛れることなく。
十代で福田恆存訳『マクベス』を読んだとき、灼きついたのはマクダフ夫人と少年の会話。
マクダフ夫人 お父様は死んでしまった、どうするつもり? どうして生きてゆくの?
少年 小鳥のようにして。
後半登場してすぐころされることになるマクダフ夫人は、だからこそ忖度なく、マクベス夫人の陰画として雄弁であり、名もなき「少年」の輝きも強烈だ。