大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

(一人芝居の頂点)

アンドリュー・ゴールドバーグ演出『マクベス』(2015)。主演、佐々木蔵之介。一人で二十役。所は、病棟。女性医師に大西多摩恵。看護師、由利昌也。

精神を病んだ者が、すでにある世界を演じ、つづける(ここでは『マクベス』)趣向というか状態はありふれたもののようだが、一人の俳優とたくさんの観客の集中力を切らすことなくさいごまで行かせる演出が凄い。

冒頭は、不安になる長さの診察。舞台『わたしは真悟』を一寸おもいだす。物語世界と観客が互いにあいてを呑む時間。大西多摩恵と由利昌也が退場しようとするときに佐々木蔵之介が「いつまた会おう、三人で」と。ここでもう虜だ。佐々木蔵之介演じる患者とマクベスの世界がみごとにシンクロしている。三人の魔女の台詞は三台の監視カメラのモニターをとおして成されたり、入浴しながら手紙を読むマクベス夫人だったりと、一人芝居を豊かにする演出におどろきっぱなし。

演技を可能にするのは俳優一人の仕事ではない。演出家や監督というのは世界観や調整に明け暮れて済むはずもなく、演技に、携わる必要がある。

このナショナル・シアター・オブ・スコットランド版『マクベス』はスタッフ、キャスト渾然一体有機的に結びついて敬虔な舞台となっている。

マクベス』は悲劇があちこちにあるけれど「和解」や「告白」といった物語はさほどつよくない。一人で何役も演じることが上手く働いているのはそのためもある。

佐々木蔵之介の迫力。悲しみ。いや凄い。