大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

おとなとこどもが、おなじ壁をみている。

グースバンプス モンスターと秘密の書 (字幕版)

『グースバンプス モンスターと秘密の書』(2015)。ジュブナイルだが『キャビン』や『ゴーストバスターズ』(2016)の賑やかさ。あるいは『バタリアン』『ビートルジュース』辺りだろうか。種々のモンスターをモブとして扱うところが良い。

シナリオも魅力的。会話のなかの、ほどほどの機知。父を亡くして皮肉屋になった主人公。隣家には少女。恋の予感。転校初日に話しかけてくるスクールカースト下位の男子。

隣家の少女・ハンナ(オデイア・ラッシュ)は快活で冒険が好きで、そのくせ謎めいている。その父は、『グースバンプス』シリーズを書く売れっ子作家のR・L・スタイン。生存中、版権もしっかりのこっている作家を軸に架空の物語をこしらえてしまう図太さが、この映画を肝の坐ったものにしているのだろう。

R・L・スタインを演じるのはジャック・ブラック。怪演に傾き過ぎず、孤独で神経質な人物を演じていた。鍵のかかった「秘密の書」から続々現れるモンスターたちは、孤独だったスタイン少年を訪れたイマジナリーな怨念のようだが、いちばん頭が回るのは腹話術人形のスラッピー。このスラッピーの声もジャック・ブラックである。

スタイン家の隣に引っ越してくることになったのがザック(ディラン・ミネット)とその母ゲイル(エイミー・ライアン)。母親が息子のかよう学校の教員という設定もドラマが起こりやすくて佳い。

いけてない友人のチャンプにはライアン・リー。臆病で、夢想家で、喜怒哀楽がおおきいキャラクターだから、周囲の感情も引きだすことができる。貴重な役だった。

監督ロブ・レターマン。脚本ダーレン・レムケ。

アルゼンチンホラー

テリファイド(字幕版)

デミアン・ラグナ監督『テリファイド』(2017)。

屋内。血まみれの女性、被疑者にされる男性パートナーという序盤はウェス・クレイヴンの『エルム街の悪夢』(1984)を想い起こさせてくれた。『壁の中に誰かがいる』とか。建て付けの良くない家が恐いものを呼びこむことの怖さ。

死生観がラテンアメリカ。子どもの死体が家に帰ってきて、ごはんを食べていたという。観客が目にすることができるのは、うごくけはいのない死体。伝聞が生ま生ましく一人歩きするところは小説を読んでいるよう。そして事実が投げだされる。

事実であれば停滞しているわけにもいかず、時間に背中を押されるかたちで退路を断たれる。となれば怪異の思う壺。

「怖がることを怖がらないで」

ハイルシュテッテン 呪われた廃病院(字幕版)

『ハイルシュテッテン〜呪われた廃病院〜』(2018)。結びは一応ホラーだけれど、終盤の二転三転はサスペンスかも。

人気ユーチューバーのコラボ企画として廃病院で肝だめし。冒頭字幕ではサナトリウムだったこの施設で人体実験が行なわれていたこと、106号と呼ばれたイリーナの存在が説明される。そこからユーチューバーたちの動画いくつか。

主人公は、ここで霊を見たことがあるマーニー。肝だめし企画に参加表明していたわけでなく、手引きする元恋人の医大生を止めようとするうちに入りこんでしまう。男子ユーチューバーの恋人や、にぎやかしで前乗りしていた迷子になりやすい男。そうやってひとが増えていって企画者の注意が分散する。集団行動がばらけて、悲劇ははじまる。

知的な脚本。キャスティングもばっちり。そのうえで、ヤンチャな男子ユーチューバー二人組のあつかいが優しい。ノンケ男子をみるゲイのそれというか。イヤな奴としては描いていない。顔もカラダも及第点。しかし酷い目に遭わせなくてはならない。

監督、マイケル・デイビット・ペイト。

「人って本当によく嘘をつくんです そしてそれを指摘されるのを嫌がる」

准教授・高槻彰良の推察 2 (MFコミックス ジーンシリーズ)

原作・澤村御影、漫画・相尾灯自。『准教授・高槻彰良の推察』コミカライズの第2巻。

君を気持ち悪いと言う人がいるなら

きっとその人は僕のことも気持ちが悪いと思うだろうね

高槻彰良と深町尚哉のむすびつき。

「不思議な話が生まれる背景には そのまま語るには陰惨すぎる現実の事件があることが多い」

二人はそれぞれ超自然の体験を経て、ひとのもたない能力を身につけている。

怪異とは日常性からの逸脱です

教室の中が日常なら トイレはその日常から逸脱した場所

ゆえにそこには怪異が生まれ怪談が宿る

 

「怪異っていうのは『現象』と『解釈』のふたつによって成り立っているんだよ」

准教授・高槻彰良の推察 1 (MFコミックス ジーンシリーズ)

「解釈をするときは気をつけないといけない 下手な解釈は現象そのものを歪めることがあるから」

 

原作・澤村御影、漫画・相尾灯自。『准教授・高槻彰良の推察』のコミカライズ、第1巻。

民俗学には「僕が調査に行ってしまったがために 何の土地的根拠もなく文化的背景もなくツチノコの伝承が根付いてしまう」という危うさがある。

高槻彰良は他人の嘘に慎重になるし、自身も嘘をつかないようだ。

大学生・深町尚哉は他人の声の歪みによって嘘をついているかどうか判る。尚哉が高槻に惹かれるのは近しい清廉さを見いだしたからでもあるだろう。

聞き心地のいい声

ああそうか この人は嘘を言わないんだ

「ミステリーじゃなくてラブコメかな? と錯覚します(笑)」  神宮寺勇太

TVLIFE首都圏版 2021年 8/6 号 [雑誌]

インパクトある表紙だった。撮ったのは田中和子(CAPS)。伊野尾慧と神宮寺勇太が連続ドラマ『准教授・高槻彰良の推察』。

個体差としての「かわいい」が身につくのは三十路のころかもしれない。磨きをかけた伊野尾慧が凄く、ドラマのなかで助演として輝くだろう神宮寺勇太にもワクワクする。

神宮寺勇太のしゃべりは実直だ。「ものすごい孤独を抱えていたということが回を重ねるに連れて伝わったらいい」し、「高槻先生と出会ったことで明るくなっていく尚哉の変化も表現できればいいなとも考えました」。

果たしてそんなお芝居が自分にできるのかずっと不安だったんですけど、クランクインしたらすぐに不安はなくなりました。監督をはじめ、いろんな方のサポートもあり、その時々の尚哉の気持ちも少しずつ分かってきています。

伊野尾慧はトークをドラマの役に寄せていき、先輩らしいリード。「聞いた? ストイックなんて言われたの初めてだよ! 僕はこんな神宮寺君がかわいくてしょうがないよ!」

 

「僕が何げないことを言うだけで、『頭がいいんですね』って褒めてくれるんですよ? Hey! Say! JUMP じゃ誰も褒めてなんかくれないのに」

 

伊野尾は作品の読み解きもしっかりしている。

「怪異現象や都市伝説を、民俗学的に『こういうことだよね』と解釈して終わりにするのではなく、このお話の中には怪異が本当に存在しているんです。そこがこの作品の、フィクションとしての個性であり、面白さだと思います」

〈俺たちモグラ 酒があればいい〉

椿組『貫く閃光、彼方へ』観る。花園神社野外劇。

1年間、延期されていた演目。おもな舞台は1962年の新丹那トンネル掘削現場。このトンネルを新幹線が走る。目ざすは1964年の東京オリンピック。TOKYO2020に合わせたテーマでもあったわけだ。

「コロナ禍の中の演劇公演。」と題して椿組座長の外波山文明がパンフレットに書いている。

「完全ではありません。勿論オリンピックも。でも、そんな日々の中で、演劇を楽しむ!芝居を味合う!人との触れ合いを喜ぶ!それが生きている楽しみですよね!そんな単純な事を本日眼の当たりにして、味合い、噛み締め、後日楽しみ直して頂ければ役者冥利、座長冥利に尽きます」

 

椿組は客入れが賑賑しくて楽しい。開演前の役者たちによる席の案内や飲料の販売。昔の、サーカス小屋のよう。

開演間際の外波山文明の挨拶も、カタかったりスカしたりということがなく、つまりはスルどさを欠いているが、芯のところでプロである。大掛かりな装置、演出、それをみちびく脚本。

幕が開くとトンネルの切羽(きりは)。俳優たちの歌ではじまる。全編ではないがミュージカルパートもある。ミュージカルは、ブルーカラーラブロマンスとの相性が非常に良い。

物語は1962年と、かがり火を頼りに船を漕いで百夜参りする「昔々」と、現代。1962年は肉体労働の鷹揚さと厳しさを生き生きとえがき、「昔々」では恋する男女とそれを邪魔する母親をあつかう。どちらも歌が用意されていた。

さらに「現代」のパートがある。スランプに陥った陸上部員が雑誌記者に語りによって1962年を垣間見るかたちになっているのだけれど、ここがややアクの足りない狂言回しのようでもったいなくて、このひとたちにも歌があればもっとつよく3つの時空が絡んだろうとおもった。

 

椿組はでてくる俳優が多くてもそれぞれきちんと印象にのこる。全員に触れる力はないが、日常の肉体を有するチョウ・ヨンホ。つくり過ぎることがない。

どう見ても凶凶しい母親役の水野あや。よその組の者だからこそ、新人を叱ることができた世話役を演った田渕正博。コメディ・リリーフとして鉄道局役人の、佐久間淳也、木下藤次郎。

根がまじめそうな池田倫太朗。など。

出番の多かったひとたちに魅力があったのは言うまでもない。

暑い夜。テント芝居ははじまれば風がとおる。