〈激しい愛は、理性のカケラも残さずに疾走する〉 『マクベス』
「はじめに」と「おわりに」が率直だと嬉しい。まちがいなく心にのこる読書となる。
小川絵梨子『シェイクスピア 愛の言葉』。対訳の、引用集だから「はじめに」「おわりに」を紹介すると魅力のすべてをならべてしまうようなものだけれども、それくらいで褪せるわけもない。
〈今回の『シェイクスピア 愛の言葉』の作業に当たり、彼の作品に改めて触れました。彼の作品を通して読むなかで、これまで学校や仕事で携わった時よりも、作品を素直に受け止め、楽しみ、考えることができたように思います。以前は、もっと何かを感じなければ、何かをわからなければ、と気負って作品に触れていたのかもしれません〉(はじめに)
〈直訳、意訳、という言葉があるように、翻訳には何種類もあります。基本的に翻訳は言葉を訳すものだけではなく、その言葉の意図や背景となる文化、また語り手の人様なども訳し、受取手に渡す必要があるでしょう。ですが、何を目的に、誰を対象にして訳すかによって、原文からどの要素を選択するかは変わってきます。ふだん私は舞台の台本を翻訳することが多く、上演台本の翻訳の際は、翻訳の受け取り手の代表格である俳優たちの存在を想起しながら作業をしています〉(おわりに)
愛に見いだすもの、もとめるものはさまざま。たとえば。
ああ
好きな人に会いに行く道は、学校帰りの生徒の道。
好きな人と別れて帰る道は、学校に向かう生徒の道。
君も恋愛中なんだな。
よかった、いい恥かき仲間ができて!
『テンペスト』
「でも」は嫌い。
君のことは好きだ、でも─
気持ちはうれしい、でも─
一緒にいたい、でも─
「でも」なんて大嫌い。
「でも」はまるで、朝、死刑執行を伝えに来る看守の足音。
どんなに清楚で純粋であろうとも、
女である限り、世間の中傷は逃れようがない。
『ハムレット』