大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

〈姉が血を吐く 妹が火吐く 謎の暗闇 瓶を吐く〉

演劇実験室◎万有引力『盲人書簡◎少年倶楽部篇』観る。高橋優太回。今村博、三俣遥河も存在感を増していた。表現や、自負はこの時代だからつよくなる。俳優よりももっとゲンミツに、万有引力という括り。ここに帰属することの徴。

森ようこ、山田桜子、内山日奈加もくろくかがやく。

ベテラン勢(高田恵篤、伊野尾理枝、小林桂太、木下瑞穂)はそれとなく下がっての、少年倶楽部篇。微調整。こまやかな演出。俳優陣をアプデしていき観客を教育する。

 

今作は客演、オーディション組も豊富。外部の血への万有の好奇心、変身の欲望。鏡売り(加藤一馬)、啞下男(中野雄一朗)、白痴令息(前田倫)、殴られ屋(小川竜駆)、手品師(mi-far)、手品師(脇領真央)、マサ子ちゃん(佐々木陽菜乃)など。

 

一瞥して個性的な登場人物たち。動機やドラマを主張する。現れては消えるかの女たちを短歌の一首のように愛でるのも愉しい。連作としてそれぞれの時空のカタマリを視ていくと、さらに闇の岐路、林立するレリーフに気づく。

中年になった小林少年と老明智小五郎の愛憎半ばする共依存

明烏』『感情教育』を彷彿とする家庭教師、白痴令息、肺病の娼婦。

盲人書簡世界をつらぬく影を踏まれた少女。派生する、光をなくした男/啞下男。殴られ屋。マサ子ちゃん。自家発電囚の男。

物語をあやつる黒蜥蜴。

〈子馬はおじいさんにパカパカと鳴いてよびかけますが、おじいさんは起き上がる様子がありません〉

気づかいルーシー

松尾スズキによる絵本『気づかいルーシー』(千倉書房)。

強烈。「気づかい」から連想されるような凪いだ話ではない。おじいさんの皮をかぶっておじいさんのふりをする、馬。それに気づかないふりをするルーシー。

あとがきで松尾スズキ、〈ルーシーと王子様の作る国は、きっと、戦争のない平和な国になるでしょう〉。

耐性がつく。視える力がつよくなる。

ルームロンダリング

ルームロンダリング』(2018)。ツタヤクリエイターズプログラム、2015年の準グランプリ企画。

事故物件を実話系でなく、ファンタジーとして構築している。分断されがちな短編集の如き霊たちをひとつのばしょにあつめるのも佳い。

劇中に登場する児童書としてはチムニク『レクトロ物語』や舟崎克彦ぽっぺん先生と帰らずの沼』など。霊の視えるミコ(池田エライザ)が読んでる。

事故物件をあてがう叔父に、オダギリジョー。母、つみきみほ。祖母、渡辺えり

田口トモロヲ、渋川清彦がかわいかった。伊藤健太郎のクレジットが苗字のない健太郎だったから、それなりに前の作品なのだろう。

陰キャのミコとアキト(健太郎)が何となく恋仲になって、物語がうごきはじめる。よくできている。

「美味しそう? 檜垣さん、性はケーキではありません」

唐組『おちょこの傘持つメリー・ポピンズ』観る。状況劇場での初演は1976年。

「おちょこの傘」がわからなくってタイトルから敷居が高いけれども、風で裏がえった傘、あれがおちょこであるらしい。それじゃあ空を飛ぶことができないので、傘の修繕、試作を繰りかえしているのが主人公のおちょこ(久保井研)。客の石川カナ(藤井由紀)を慕っているのだ。メリー・ポピンズのように空飛ぶ自由なひとでいてほしいと願っている。

おちょこの傘屋に居候しているのが、芸能事務所のマネージャーだった檜垣(稲荷卓央)。檜垣は、カナをさがしてこの町に来た。

 

唐十郎の書くものはミーハーでミクスチャーで、ゆえに詩のようなところがある。当て書きは即ち即興的。「国鉄総裁」と「桃屋のザーサイ」を掛けて笑いをとるのは、いまの俳優にはむずかしいだろうけど、久保井研は当時の台本を尊重した。えがかれる事件も、実際にあったもの。

状況劇場時代、出演俳優が豪華だったと聞く。登場すれば喝采なのだから、人物の入退場はおおらか。会話に参加せぬ舞台上の人物は、気絶したり寝たりしている。

 

ハムレット型とドン・キホーテ型。貫通行動。ロバチェフスキー空間。『メリー・ポピンズ』を『銀河鉄道の夜』へとつなげる詩想。

石川カナの、眠れるおちょこへの語りかけ。おちょこの、檜垣への語りかけ。終盤は『ハムレット』にとどまらないシェイクスピア四大悲劇の走馬灯のようでいて、さいごは生と死、清濁まるごと飛びたたせる。ここで観客は皆泣く。一幕劇としてはダレるところもあるのだが、テント芝居の祝祭性としては頂点かもしれない。

夜のかがやき

中川英二郎エリック・ミヤシロ本田雅人の「SUPER BRASS STARS」が特別編成、サプライズもある『SUPER BRASS STARS XXL EDITION』。東京国際フォーラム ホールC。

中川英二郎トロンボーン)、エリック・ミヤシロ(トランペット)、本田雅人サクソフォン)に加えて宮本貴奈(ピアノ)、鈴木直人(ギター)、川村竜(ベース)、川口千里(ドラム)、具志堅創(トランペット)、半田信英(トロンボーン)、近藤淳也サクソフォン)。スペシャルゲストに小沼ようすけ(ギター)。さらに平原綾香

 

第1部45分。休憩15分。第2部60分。(実際には第1部15分押し。第2部7分押し)

SBSの三人がつくった曲に、小沼ようすけ平原綾香の代表曲。ジャズの名曲も入ってくる。あれを捨てこれを捨ててのセットリストは、こうなるほかない「必然」「完璧」をかんじさせる。

演奏は、舞台に紗幕の掛かったまま始まる。ハンディカメラが奏者を撮る。それが紗幕におおきく映る。

セットリストは以下の通り。

Heaven's Kitchen

 

Peep

 

Secret Gate

 

Sky Dance

 

Coffee Please

 

MEGALITH

 

(休憩)

 

12 colors

 

Scramble

 

Birdland

 

Dynamite

 

Jupiter

 

Spain

 

Into The Sky

エリック・ミヤシロとイルカの話。小沼ようすけの「Coffee Please」誕生秘話。

本田雅人の偏屈で、技術のあるところ。

父・平原まことを亡くし、ブラスの音を聴くのも辛かったという平原綾香中川英二郎ら、知己に守られ歌い上げる。

「丸の内ミュージックフェス」の一環。楽しくて凄い。

〈冬の木がきょねんのようには見えぬこと ほっとよろこんで ただすぎてゆく〉  今橋愛

永井 私がいちばん思ったのは「上がるから、下がる」んだなあということを、思うんですよね。なんか20年やってると、すっごいやる気あった人ほど、なんかに失望しちゃうと。

石川 あー、やめちゃうとか。

永井 離れちゃうとか。やっぱそういうことってあるんですよ。

「今橋愛✕石川美南✕永井祐トークイベント『短歌20年、ひとっとび!』」。開催地は福岡市の天神にある「本のあるところ ajiro」。配信視聴。

 

2002年の北溟短歌賞受賞者・今橋愛と、次席の石川美南、永井祐。そこから20年。同期としての信頼、共闘など語る。

当然のことだけど三人三様で、本人の語り口と作歌されたものだって一致しない。それでも連帯はある。そういうふしぎに胸をうたれる。

石川美南が一所懸命企画する。配布資料に「二十年前の五首と最近の五首」「短歌やる気グラフ」。学校や職場にいたら、いちばんまともなひとだ。ハレとケがあり、そのどちらにも注力できる。破綻がないからこそ、さまざまな局面で選択できる。選びきれないとか、選ばないということがない。

石川はフラメンコを習っていたがそこでもとめられるのは十二拍子。短歌のリズム五七五七七をすでにインストールしていたから、フラメンコは止めたといったふうな。

 

永井祐は淡々としている。そのたんたんは虎視眈眈かもしれないが。性格上の波や起伏すくなく、焦りをあまりおもてにださない。第一歌集の出版も今橋愛、石川美南に比べると遅い。

成長曲線は異なる。その感慨を得るためにも時間は必要だ。

参加者からの「上手くなりたい」という質問を、永井は文体的なものだと分析。ただ上手くなりたいだけかもしれない。あるいは抱えこんだ主題を十全にえがく方途として。

「主題と文体どちらが先に来るか」はひとそれぞれと永井祐。たとえば今橋愛にははじめから主題があった。

 

今橋愛は気持ちのアップダウンが激しい。制御はできないが、翻弄はされない。底を打てば上がりはじめるということがわかっているから。そして気持ちが下がっているときほど、言葉に入りこんでいく。たとえばテレビを一切視なくなり、ひたすら作歌する。

「わたしは『弱さ』で書いている」という表現が印象にのこった。

 

プレバト!!』的な、俳句的な意味での添削は減った。現代短歌の多様性はそのためもあるようだ。

〈初期化された この 世界〉

倉持裕、作・演出『DOORS』(2021.5.29 世田谷パブリックシアター)。

出演は奈緒伊藤万理華早霧せいな田村たがめ菅原永二今野浩喜

平行世界を行き来するジュブナイル岩波少年文庫のような。

はじまりは、雷雨の夜。陰惨に衝突する母子家庭。いやな世界だからこそ、パラレルワールドに踏みこんでしまうのか。

さいしょに向こうへ行ったのは、少女・真知(奈緒)ではない。母親の美津子(早霧せいな)だ。それも、とりかえばや。向こうから来た美津子がこちらで母親のふりをしている。

大人になってもまだ根を下ろしている深い失意が現実を否認する。「蒸発」するような時代ではないけれど、「中年の危機」は近づいてきている。だから、こちらの美津子とあちらの美津子は入れ替わったようなのだ。

こちらとあちらはずいぶんと対照的である。こちらの美津子は元・女優。あちらの美津子は公務員といった具合に。

こちらの理々子(伊藤万理華)は女優志望。あちらの世界で女優志望なのは真知。進路も性格も引っくり返ったパラレルワールドなので皆、二役に苦闘している。

センスのいい脚本だが、書きこみはすくなく、あちらの世界がこちら以上にふわっとする。それでこちらの今野浩喜はチャーミングなのに、あちらはイマイチだなあとか。物足りなさをかんじるところも。

 

早霧せいなが抜群だった。演じ分けがみごと。そして綺麗。

あちらの世界に行ったこちらの美津子が、真知に、芸能界で生きていくうえの助言をする。女優志望の真知がここにいるとおもっているから。しかしそこにいるのは美津子を追ってきたこちらの真知だ。

美津子はそれと知らずに胸襟をひらいている。不器用な愛情のえがきかたのひとつ。