大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

〈RPGゲームの『竜に誘拐されたお姫さまを助けたい』ってのは、大きな目的だ。でも、こいつ(中ボス)を倒したいとか謎を解きたいとか、具体的な目的は、そのたびに変わるんだ〉

鴻上尚史の俳優入門 (講談社文庫)
鴻上尚史鴻上尚史の俳優入門 (講談社文庫)』。2006年にでた『俳優になりたいあなたへ』に「おまけ 台本の創り方」、高橋一生との対談「原点は『お芝居したい』という衝動」を加えた文庫版。本編は「僕」が、新幹線のなかで高校生のユキちゃん、マサシ君と語り合うというジュニア向けの形式に則ったもの。
《高校演劇》という、それほどメジャーでないけれど伝統ある世界を起点に、演じることや脚本、他ジャンルとの違いが説明されていく。
自分の役について深く分かれば分かるほど、演技に集中することができるので、緊張しなくなるんだ


「4つのW(When、Where、Who、What)」を押さえることや〈『葛藤からの動き』と『ただの動き』を区別すること〉。


個体差をいかに自覚するか。

『美人村』出身者の悩みと『ぶさいく村』出身者の悩みが同時にあるから、ドラマは深みを増すんだ。


〈俳優を続けるための努力を死に物狂いでしないと、その人はどんなラッキーなデビューをしても三年で忘れ去られる。これは、絶対だ〉


いろんな選択肢があるんだと提示するのは優しさだ。ところが後半、一寸シビアになる。

君は、最初の仕事を終えた後、すぐに失業する。失業して、膨大な時間を持て余す。失業期間は、一週間かもしれない。一ヵ月かもしれない。半年かもしれない。一年かもしれない。恐ろしいことに、失業期間がどれぐらい続くか、君には分からない。

〈泥だらけの野菜の目で今の自分を見てみたい〉  「不機嫌な妻」

夜のミッキー・マウス (新潮文庫)
エロティックス (新潮文庫) 谷川俊太郎の詩集『夜のミッキー・マウス (新潮文庫)』。2003年の詩。そこから4年前、8年前の詩。谷川俊太郎は1931年生まれ。
それにしては攻撃的だとおもう。詩人というのはそういうものなのかもしれない。
そのなかで、どちらかといえば穏便な箇所が沁みた。

文字はときに声よりも騒々しいと男は思う
声の闇から生まれてきたからか文字は光を渇望している


   「詩に吠えかかるプルートー

いつだったかピーターパンに会ったとき言われた
きみおちんちんないんだって?


   「百三歳になったアトム」

鉄腕アトム』の作詞をしている谷川俊太郎だ。赤の他人によるパロディとは一寸ちがう。


「ああ」「ママ」「なんでもおまんこ」の三篇は、アンソロジーエロティックス (新潮文庫)』にも収められている。「ああ」はおんなの子目線の、「なんでもおまんこ」はおとこの子目線のリビドー。子と母の「ママ」が対話しつつ残酷で凄い。
〈ママが死なないようにぼく毎晩お祈りしてるよって言われると
私嬉しくて死にたくなる
でもママいつかは死ぬよね
ぼくママが死んでも生きていけるようにしなくちゃ
私は子どもの顔を自分の裸の胸にぎゅっと押しつける
そんなこと言わないで
ぼくママが死んでも生きていけるよ
だってそのときにはもうコイビトいるもん
そんなこと言わないで
新しいおっぱいだよでかいおっぱいだよ
そんなこと言わないで〉


「スイッチが入らない知識人」、「愛をおろそかにしてきた会計士」の二篇はほかの辛辣で野蛮な詩とともにならんでいるため輝くが、ほかの詩にある愛だって男女間の分かりあえなさだったりする。


「よげん」はちからづよい。年をとると「よげん」なんてできなくなるものだ。権力をもつにんげんがおそろしくなるし、なにももたない若者がかわいそうになるから、「よげん」のようなことばの振り回しかたができなくなる。
だから、そうか、いいのかとずいぶんはげみになった。

立ち止まって爺さんは嗅ぐ
犬みたいに秋の大気のかぐわしさを
そこに隠された情報量に圧倒もされずに


   「鍵を探す爺さん」

広い広い野原だ
よちよち歩いているうちにおとなになった
オンナの名を呼びオンナに名を呼ばれた


いつか野原は尽きると思っていた
その向こうに何かがあると信じていた
そのうちいつの間にか老人になった


耳は聞きたいものだけを聞いている
遠くの雑木林の中にはどっしりした石造りの家
そこにいるひとはもうミイラ……でも美しい


広い広い野原だ
夜になれば空いっぱいに星がまたたく
まだ死なないのかと思いながら歩いている


   「広い野原」

「──て これ…俺の心臓の音か…!?」

アイ・ドント・クライ (下)  【電子限定おまけ+アマゾン限定特典付き】 (バーズコミックス ルチルコレクション)
「学び飯」として芸能界の先輩から話を聞くジャニーズJr.の『裸の少年』がおもしろい。性差はあまり問題とされず、どのように苦労したか、生き延びたか。柴田理恵田中律子森公美子など、めいめいに歩みがある。
その道をHiHi Jets東京B少年の子らの未来にそれとなく継ぎ足してみる。その苦境や好転を想像する。そういうふうにあたまを使うのが快い。
イシノアヤ『アイ・ドント・クライ (下) 【電子限定おまけ+アマゾン限定特典付き】 (バーズコミックス ルチルコレクション)』。アイドルグープ出身、俳優に転身した姫野亜樹と、かつて担当だったマネージャーの物語。
だれかの人生が、べつのだれかの人生であるようなあたまの働かせかたをして読んでしまう。俳優とマネージャーを混交させる。二次元と三次元を混交させる。
それをさせる身近さが、姫野亜樹にはある。売れるまえにバイトしていた定食屋にときどき顔をだす。
バイト先への恋しさもあるが、交わることのなくなったマネージャーの笠原と会えないかというヒトへの慕わしさ。
生きるって純粋なことだ。必死だもの。そこに善悪はない。けれども姫野亜樹は、アイドル雑誌の水着姿を《恥知らず》と父に否定される。
姫野亜樹は、たよれる大人をもっていない。


だから、マネージャーの笠原とわだかまりがなくなり、それぞれに秘めていたあいてへの恋愛感情を暴発させる展開に感動する。おもたいものが、かるくなる。
一気にBL。そうならないかとおもっていた。

「姥捨山(おばすてやま)で狸の餌食になりそうな見かけだが、口は新品の剃刀みてえなばあさんだな」

黙阿弥オペラ (新潮文庫)
井上ひさし黙阿弥オペラ (新潮文庫)』。
こまつ座の舞台は一度も観たことないが、戯曲には触れる。ゆるみがなく、みごとというほかない。
ト書が物語を俯瞰している。これは演者や読者にとって親切。さいしょに示されるのはつぎのとおり。

とき 嘉永六年(一八五三)師走から、明治十四年(一八八一)初冬まで。すなわち、狂言作者の二世河竹新七が芽の出ぬのに絶望して両国橋から身を投げようとした三十八歳師走から、その新七が自分に「黙阿彌」と阿彌号をつけて劇界からの引退を決意する六十六歳初冬までの二十八年間。


「火鉢に埋めてある炭団(たどん)の頭を火箸で叩いてみなせえ、赤いところが顔を出すからね。(五郎蔵に)出し台に煮物がある、ちっとは腹の足しになるだろう」
こういう、世間知と優しさが織りこまれた台詞がばんばんでてくるところが好い。共同体的なお節介のようで、ずっと冷めている。
みんなで捨て子を養育しようという話。それも単なる善意でなくて、株仲間として金をだしあい、あとで回収しようという名目つき。
いきなりそんな流れになるのではなくて、身投げしようというようなワケありあつまりだすところから。他人に説得されても

「死ぬな」と自分に言い聞かせて、「はい」と自分が聞き入れてくれるようなら、世の中に身投げなんぞありゃしません。

朝、起きてうがいをするたびに自分にこう釘を刺すのです、「焦ってはいけませんよ」


(……)


五郎蔵さん、わたしはこの十年間、毎朝、自分にそう言い聞かせてきました。けれども夜になると足が勝手に動いて、いつの間にか両国橋の欄干から暗い水面(みなも)に魅入っている。……とりわけ今夜は水面へ舞いおりて行く雪を見ているうちに、おのれの身体が宙に舞いあがるようなふしぎな心地になりまして、


小道具も有効に使う。舞台特有のおもしろさ。
実の子を手放した五郎蔵が、養い先に会いに行った。すると娘は「チャンが銭貰いと思われたら、あたい、つらいもの」と二度と来ぬよう科白するのだ。
〈おいらに似ねえ、いい子なんだ。別れしなに、袂から胡麻煎餅を出して、「お八つにもらった煎餅だけど、おたべ」〉
そんな五郎蔵の話を聞き、煎餅を手にした新七が〈この煎餅の一片には、わたしが忘れたままに放っておいた世間という名の銭地獄の光景がぎっしりと詰まっている。これはこの世の銭地獄を眺める遠眼鏡だ。そばに置いて狂言の筋立てを考えますよ。この煎餅からはきっと金(きん)が出ます〉

新七 (ちょっと考えて)この世は切ない世話場。エイこんなところはもうまっぴら、チャラチャラと小判の音もにぎやかなところで太く短く生きてやれと一気に別世界へ跳ぶ。これがわたしの筆の先から躍り出た、いわゆる小悪党たちでした。しかし、いくら高く跳んでみても、その別世界もまた切ないことばかり。つまり、人の世はいたるところが世話場なんです。それが人生の真実ならば、この世の世話場という世話場をありのまま生々しく写し出すしかない。こうして生世話物(きぜわもの)ができました。ご存じのように、これは見物衆からよろこばれました。どこへ跳んでもおなじなら、いまのまま辛抱することにも意味がある、見物衆はそう思って安心するわけです。

〈そういう世話場をありのまま生々しく写すとなれば、美しい役者はかえって不都合。美しくない役者が演じてこそ、舞台がこの世の写し絵になる〉


〈紀尾井坂 臆病者は廻り道〉


〈人の心と言葉、これはそうやすやすとは変わりませんよ。そしてその二つで芝居はできているんです。芝居がそうたやすく変わってたまるものですか〉
そう科白しても御一新により世のなかはどんどん変わる。もとめられる芸も変わる。……ほんとうに?

新七 お上の十八番の、「開けた芝居を書け。上流の方々の鑑賞にたえる芝居を書け」というお言いつけに、生まれて初めて、真っ向から逆らいました。はっきり云えばあたしはあたしのやり方でやろうと居直った。下種な言い方をすれば演劇改良なぞクソくらえと尻(けつ)を捲った。そうして、桟敷の御見物衆の力を信じて、それだけを拠り所に書きました。

2013年から 断続的に つづいている 黄泉路の物語

黄泉路喫茶コヘンルーダ (ウィングス・コミックス)
(BL描写なし)藤たまき黄泉路喫茶コヘンルーダ (ウィングス・コミックス)』。サスペンス。謎多きオトコたち。
中心となるのは、霊が視える彩達(さいたつ)。

昼も夜も
目を閉じて
いても
それは
いなくは
ならない

藤たまきによる、節度あるオトコっぽいカラダと七五調のモノローグ。

そろそろ
出会うと
良いよ


まるで
噛み
合わない


黄泉路を
見る兄弟

「誕生日が父親の命日 誕生日なんて なければいい」

君を守る恋~Who Are You~ (コンプリート・シンプルDVD-BOX5,000円シリーズ)(期間限定生産)
韓国ドラマ『君を守る恋』(2013)。ある事件に巻き込まれ意識不明だった警察官シオン(ソ・イヒョン)。かの女が目を覚ましたとき、霊を視ることができるようになっていた。
さまざまな事件のアドバイスを霊がしてくれるわけではなくて、霊によって、事件の存在を知らされる。それでシオンは居ても立ってもいられなくなり、目のまえの業務をほうりだして「ありもしないもの」へと突き進む。ハタから見れば奇行である。部下のゴヌ(テギョン)は反発しながらも毎回真実に打ち当たるので、公私に亘ってシオンのことを信じはじめる。
恋のはじまりでもある。
その恋がかたちをもちはじめたころ、殉職したヒョンジュン(キム・ジェウク)の霊があらわれるようになる。うしなわれていたシオンの記憶ももどる。ヒョンジュンと恋仲だったこと。
ラブストーリーとしても佳いが、霊たちが呼びこむエピソードもドギヅいものがあって響く。
ゴヌが亡くした「みっともない父親」の話。劇画っぽいというかジョジョにもあったふうというか。古臭いのか普遍的なのか。ひととの交わりを居住空間にもちこまぬよう生きていると、家族の問題がどれだけ変化しているのか、いないのか一寸わからなくなっていて、けれど異様に共振した。