大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

一年前の『週刊少年サンデー』、となりに。

週刊少年サンデー 2019年4・5合併号(2018年12月26日発売) [雑誌]

アイドル雑誌とちがうのは、記事が断片として終わることなく起伏をもち、はっきりと承認をもとめているということ。King & Prince、『週刊少年サンデー 2019年4・5合併号(2018年12月26日発売) [雑誌]』 。

永瀬廉が座右の銘を聞かれ「マザー・テレサの『思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから』で始まるやつ」、意外性に胸を打たれた。マザー・テレサ。それがたとえナマカジリだとしても、信仰というのはじぶんをちいさくすることであり、その殊勝さがあればどんどんおおきくなっていける。

平野紫耀の行ってみたい場所、「天国」。

岩橋玄樹、好きな言葉は「大丈夫だよ」。「大丈夫だよって言われると、大丈夫なんだと安心できるから」

岩橋玄樹について平野紫耀は「僕が東京に引っ越してきた時、最初にできた友達です。すごい寂しがり屋だけど、誰にも負けない努力家」と。

 

 

夢を聞かれた神宮寺勇太が「6人で冠番組を持ちたい。6人でずっとグループを続けること」。

なんどでもながめる。

Men's NONNO(メンズノンノ) 2019年 01 月号 [雑誌]

「これだけはやめられないことはありますか?」

「動物の咀嚼音を聞くこと。たぶん僕って音フェチで(笑)、落ち着く」

メンズノンノ』2019年1月号、平野紫耀

 

 

「寝る前は何をして過ごしていますか?」

ラクダがサボテンを食べる動画にハマっていて、それを観ています(笑)」

 

 

「どんなときに生きていてよかったと思いますか?」

「おいしいご飯を食べているとき! あと気持ちよく目覚めたとき!」

 

ヒトの、動物に似ているところ。それが愛しい。

平野紫耀はシンプルなようで深淵で、むずかしくはないけれど、わかりやすいというのでもない。

二〇二〇年に、二〇日連続公演をする由

桂文珍独演会『一期一笑 ジャパンツアー』行く。

開口一番は桂文五郎「延陽伯」。丁寧で標準語寄りな文珍師とちがい、はっきりした大阪のことば。熱演で、上方落語の会に来たんだあと嬉しくなる。

「延陽伯」は東京でいう「たらちね」。馬鹿丁寧な口調のおかみさんをもらったおとこの話。

 

桂文珍、先ずは「小言念仏」を改作した「世帯念仏」。仏壇のまえで念仏を唱えながらぶつぶつ、ぶつぶつ家の者に意見する。リズムは自然に生まれるし、笑うばしょもわかりやすい。

つづく内海英華、女道楽。三味線。都々逸。なかに「勧進帳」を挟みこんだものがあって、技術殊更凄かった。「いややわぁ。なんでこんな巧いんやろ……」と謙遜もあろうけれども自負も匂わせ、快い。

桂文珍二席目は「不思議な五圓」(「持参金」)。これが、おかみさんをもらう話で「延陽伯」とカブりつつ、ただの笑い話ではなかった。人情噺として仕立て直されていた。おとこもおんなも幼時にさびしいおもいをしてきたからあたりのことによく気がつく、とか。番頭の子を身ごもった、というのは嘘だった、とか。

 

仲入後、桂文珍「胴乱の幸助」。上方らしい落語だった。舞台は関西。でてくるのは浄瑠璃。皆が『お半長右衛門』を知っていることが前提とされた世界で、堅物の幸助がそれを知らない。喧嘩の仲裁が趣味の幸助、“お半長”を浄瑠璃の話とわからぬままその争いを停めに伏見まで行ってしまうという……。

けったいな噺といえばそれまでだけど、田舎育ちで真面目に働いてきた幸助のかなしさがせつなくもある。

無趣味、というのはかなしい。カネとの付きあいかたも、ヒトとの触れあいかたもわからないのだ。

 

客層は、平均年齢高め。そちらに振り切ってネタづくりをされている。

毒蝮三太夫が席亭の『マムちゃん寄席』(第十五回)に。

出演は林家二楽(紙切)、松元ヒロ(漫談)、神田松之丞(講談)。仲入あってナイツ(漫才)、毒蝮三太夫玉袋筋太郎の対談、さいごに春風亭一之輔(落語)と、豪華。

TBSラジオつながりと言うこともできるけれど、毒蝮三太夫が「色気」と銘打ったときに視えてくるキャスティングの美しさ。

「マムちゃん」によるオファーであるとか、テーマが「色気」ということにマクラで反応してみせた神田松之丞も春風亭一之輔もみごとだった。

何しろ「マムちゃん」のもとで演るのだから毒舌ならざるはなく、いつも以上に二人共するどい。ネタも、松之丞は「源平盛衰記より 扇の的」──那須与一だ──、一之輔「短命」と色っぽいところをもってくる。

林家二楽は盛りだくさんだった。リクエストを受けての紙切に、息子の林家八楽との共演。音楽に合わせて展開する紙切ストーリーも。今回は『明日があるさ』。

「夏休みにガラッと人生変わった」 井森美幸

井森美幸が好きなので、ゲストで登場の『裸の少年』悶絶。

井森美幸平野紫耀が似ていることに気づく。二人とも笑みを絶やさずに、しゃべる。ひとに優しく生きようとしている。

吉田戦車の短編の一つに「戦え! 井森美幸」というのがあったけれど、いま電子書籍の『戦え! 軍人くん』にあたってみてもみつからない。ほんの数ページ。バラドルとしてやっていくことにためらいをおぼえている井森美幸が、修業の場の岩に彫りつけられた大先輩の名を発見するという話だった。それで吹っ切れたと。

『裸の少年』で井森美幸と学び飯したのはSexy美少年(法被は東京B少年)の那須雄登、佐藤龍我、金指一世。

「ちなみにさ、いま何歳なの?」と井森美幸

那須「ぼく16です」

佐藤「15歳です」

金指「14歳です」

 

待って……。ぜんぶ足しても、あたしに満たない?

 

わざわざ、バラエティ的「美味しい」ほうへと舵を切る。観ながら、井森美幸のここが良かったあそこが可愛かったとおもいだす。おばあちゃん子だったのかな。小学校時代のタオルを大人になっても使っていたとか。お化け屋敷やたら怖がるとか。

「お化け屋敷が怖過ぎて泣く」──《恐怖と涙》を嗜好するようになったのは井森美幸のためかもしれない。『忍ジャニ参上! 未来への戦い』メイキング中のドッキリで泣く顔を見て、平野紫耀を完全に好きになったのだった。喜怒哀楽とはちがう涙。

Sexy美少年と井森美幸は先ず末広町「鳥つね 自然洞」に。井森美幸が店主にさまざま訊くけどどれもかわされるので爆笑する佐藤龍我。佐藤龍我はくつろいでいて好い。

店主の「変わらないように変わっていないと。やっぱり、いまのかたは味覚が変わってますから。それに合わせて変わっていかないと」を引きだせたのは結果として井森巧いトークだったということか。

つづく田原町「魚料理 遠州屋」。井森美幸宇津井健仕込みの「雑誌破り」を披露。

浅草「三定」で天丼。ここでは高校野球の話になった。「あきらめない精神」。「ひどいときはね、仕事をね『試合』って呼んでるから。そうするとちょっとじぶんのモチベーションが上がって。まあ三振して凡打で終わるときもありますけど仕事で。『ああ今日はヒット一本打ったな』とか。『送りバントは決めたいな』とか。地味ですけど」

うなぎ「和田平」。「エステも行かないし、ジムとかも行ってないし。べつに化粧品とかも、昔ながらのロングセラー商品しか使わないみたいな。で、めちゃくちゃ高いものはべつに使わないし。シャンプーとかも普通の市販の、700円くらいとか」

那須「僕たちけっこうシャンプーとかだと、2000円手前くらいすね……」

井森「ウソでしょ!」

佐藤「化粧水とかもけっこう……」

井森「え、塗ってんの?」

佐藤「塗ってます塗ってます」

光の如く

永遠と、どのように向き合っていくか。そのやりかたのひとつに《Sexy美少年》というグループ名があるのだとおもった。

少年隊のように、素っ気ない。普通名詞に近くて、だけどしらべればちゃんと釣りあげられるぎりぎりのところを攻めた固有性。

《Sexy》は誰のものか? という話になると非常にむずかしい気もするし、ジャニーさんのものでしょといまは仮止めしておくけれど、いたって普通の言葉だったSexyや美少年に事務所の匂いをつけたのは凄い。

二の矢、三の矢とはなっていくことでほかの美男たちはセクシーと冠されることがなくなり、少年性からも切り離されてしまう。

そのほうが楽ではある。いつまでも少年でいるのは大変なことだ。それを期待された東京B少年。Sexy美少年をまえにした東京B少年という絵が、美しい。

かれらのうたう「Cosmic Melody」はびっくりするほどなめらかで、きらきらしていた。ジャニーズJr.チャンネルで見たとき、こんなん、はよ売らなと度肝抜かれた。東京B少年というユニット名のかわいらしさもわかるけれども、そこへの愛着を語って語って語って語ってもいいけれども、もっとおおきい、堂々とした看板があればなお良い。Sexy美少年は勝負にでたなというかんじ。カワイイとか、「(笑)」といった逃げがない。潔い。

そとのひとたちにも笑わることなく美少年を全うしなくちゃいけない。この試練はジャニーさんからの愛だろう。

《Sexy》はここが始まりでなく終わりでもない。完成する必要もない。

けれど美少年をはじめたのは、東京B少年だ。

〈奔放で軽やかな オレとは正反対の男なら〉

from 2DK (H&C Comics ihr HertZシリーズ)

この読後感の良さはなんだろう。ジョゼ『from 2DK』。3編。それぞれに描き下ろしのみじかい後日譚。

BLだからこそ、まだゲイ関係にないおとこの子たちの同居生活をえがける。なにも起こらないのに、クローズアップされる。描写される。

ひとと暮らすのに、きちんとしている必要はない。1話目の「トマトとシソとマヨネーズ」は家事をまったくしない室内パンイチ派のおとこの子。こどもじみたところが愛しい。

屋内における生活能力の無さがアリかナシかで、この物語の展開を追えるかどうか変わってくるかもしれない。

同居の解消を宣告されるパンイチのウメ。

「…もし今オレが出てかなくても 一生一緒にいられるワケじゃないのお前理解(わか)ってるだろ」

「え? 寛ちゃんオレより先に死ぬ気?」

「バカ」

 

2話目は「シャツとシーツと洗濯機」。

部屋とYシャツと私”みたいなかんじに3話目も名詞3つならべるのかなとおもっていたらつぎは「ソファとエス」。巧い。

「ソファとエス」は大学内にルームメイト募集の掲示がされるところからはじまる。スポーツマンタイプの二枚目と、チャラい系の美男。異なる属性を綺麗に描き分けている。

「大原って痛いの好きな人?」「は?」「もしかしてこないだもそれで…」「そんなワケないでしょう」