大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

「このときを待ってたんだ。スロットじゃなにも生まれない」

オンネリとアンネリのおうち(字幕版)

オンネリとアンネリのおうち (世界傑作童話シリーズ)

マリヤッタ・クレンニエミ原作(絵・マイヤ・カルマ)の児童小説『オンネリとアンネリのおうち』(2014)。監督はサーラ・カンテル。

大家族のなかでさびしいオンネリ(アーヴァ・メリカント)と、離婚家庭にあってさびしいアンネリ(リリャ・レフト)。ふたりはベストフレンド。ある家のまえで「正直者にあげます」と書かれた封筒をひろった。警察にもっていくと、たくさんお金が入っていた。

お金なんかいらないと、来た道をもどるふたり。さっきの家が売りに出されるところだった。ふたりの少女のための家だという。そのお金で住みなさいという。マジカルな話なのだ。ひろったお金をみせることでこの家はオンネリとアンネリのものとなる。入ってみると、すべてが調えられていた。

隣家は、気むずかしい女性の一人暮らし。また近所には臆病だが好奇心いっぱいの姉妹が住む。

この姉妹は魔法を使う。庭の動植物もふしぎで、クリスマスオーナメントや花火の実る草木に、イースターエッグを産む鶏など。

絵を描くのが好きなおまわりさん。お祖母さんにスロット代をたかられつづけるアイスクリーム屋の青年。この青年はゲイかもしれない。

オンネリの弟サンテリがかわいい。佐々木大光に似た顔。

 

無垢であることが許されている。大人たちもそこに戻る。

「近ごろの犬は、じぶんの幸運がわかっていない」

ロイヤルコーギー レックスの大冒険(字幕版)

『ロイヤルコーギー レックスの大冒険』(2019。ベルギー)。

皇室で寵愛された若きレックスが、おなじコーギーであるチャーリーに嵌められ、そとのせかいの施設行き。そこでのファイトクラブなど経て帰還する物語。

レックスも、ロマンスのあいてとなるワンダも打算的なところがやや目について「人間臭い」が、「故に神話的なのだ」とかんがえてみると一寸おもしろい。皆、弱いのだ。

だから病気っぽい、痩せた何匹かの犬に魅力をかんじる映画でもある。

〈あづさゆみ春の真昼の下り電車口あけて狐型美少年眠る  酒井佑子〉

うたの動物記 (朝日文庫)

白露に薄薔薇色(うすばらいろ)の土龍(もぐら)の掌(て)

    川端茅舎

蟻と蟻うなづきあひて何か事ありげに奔(はし)る西へ東へ

    橘曙覧

 

〈『うたの動物記』は二〇〇八年十月から、二〇一〇年十月まで、日本経済新聞の毎日曜の文化欄に連載されたエッセイである〉

小池光による短歌、俳句、詩の横断。動物のでてくる詩歌の紹介で、やっぱり斎藤茂吉が凄い。

小さき鯉煮てくひしかば一時ののちには眼(まなこ)かがやくものを

    斎藤茂吉

「大口の真神」といへる率直を遠き古代の人が言ひつる

    斎藤茂吉

石亀(いしがめ)の生める卵をくちなはが待ちわびながら呑むとこそ聞け

    斎藤茂吉

生命力を謳って憚るところがない。

 

動物ごとに項を立ててあるのだけれど、緊密なところがいくつもある。

〈鷗外の無駄のないきびきびした文章はどちらかといえば俳句に通ずるかのように思え、また漱石の深遠多彩な語りの妙味からは短歌への距離が近いように思えるが、実際の趣味は全く逆になっているところが味わい深く、おもしろい〉

厠(かわや)より鹿と覚(おぼ)しや鼻の息  漱石

酔ひしれて羽織かづきて匍(は)ひよりて鹿に衝(つ)かれて果てにけるはや

    森鷗外

 

各項の薀蓄も佳い。〈ラクダなどは推古時代に来ている。きっと聖徳太子も見ただろう。

キリンは遅い。明治四十年(一九〇七)の初来日。ということは樋口一葉正岡子規はキリンを見たことがなかった〉

秋風(しゅうふう)に思ひ屈することあれど天(あめ)なるや若き麒麟の面(つら)

    塚本邦雄

群がれる人頭の彼方見やりつつキリンはしづかにやせて佇ちゐし

    河野裕子

 

山椒魚

あっけなく扶養家族をはずれゆきし昼ねむる息子(こ)の眠り山椒魚

    永田和宏

はんざきの傷くれなゐにひらく夜

    飯島晴子

 

 

凄み、膂力のある詩歌に魅入られる。

天に近きレストランなればぽきぽきとわが折りて食べるは雁の足ならめ

    葛原妙子

 

白きうさぎ雪の山より出でて来て殺されたれば目を開き居(お)り

    斎藤史

 

牛飼(うしかい)が歌詠む時に世のなかの新しき歌大(おお)いにおこる

    伊藤左千夫

 

 

河童忌の庭石暗き雨夜かな

    内田百閒

山鳩(やまばと)よみればまはりに雪がふる

    高屋窓秋

 

 

しづけさにねむりもやらぬ雪の夜をもの思はする片吟のこゑ

    多田惠一

 

 

黄海もわたりゆきたるおびただしき陣亡(じんぼう)の馬をおもふことあり

    斎藤茂吉 

『あんのリリック』後編

『あんのリリック 桜木杏、俳句はじめてみました』後編。

夏川結衣演じるクリエイティブディレクター・塔矢ローズゆりのもつ温情と残酷さがいいかんじ。翻弄される昴と杏。

昴は、先輩の神谷(毎熊克哉)から「そもそもおまえは、あの子を連れ回して、どう仕事につなげようとしてたわけ?」と聞かれる。「それは……」言葉に詰まる昴。恋じゃん。しかしそれはまだ明瞭でない。

後編はハゲボウズと桜木杏の和解から。「句友」で「クルー」で「狂う」だった。

ハゲボウズ持ちの高級寿司店。寮母によれば「ギロッポンのシースーはお詫びの最高峰」でもある。大トロばかり頼む杏。

 

本宮鮎彦(田辺誠一)主宰のいるか句会、恋愛フラグがどんどん立つなか、鈴木鵙仁(吉田ウーロン太)が非モテの色を濃くしていく。川本すみれ(安藤ニコ)は昴と杏の関係にかるいジェラシー。

 

核心へ触れぬままなり冷奴

 

鶏卵を丸めてごらん夏のれん

 

アオノリュウゼツランのまえに立ち「俳句で、花を咲かせたいなあ」と呟く鵙仁と梅天(桂雀々)の掛け合いが可笑しい。「でも、咲くとしぬで。咲くとしにますて書いてあるがな」「しにましょうか」「なんで? いやや」

 

前編を回収していくかたちの後編。休憩ありの観劇のような心地よいゆとりが生まれた。

劇中登場した句からいくつか。

夏めきて天に決意を告ぐるべし

南風に口笛持ってゆかれけり

共学に憧れし日やメロン熟る

明易や胸の奥へと詩を追うて

こもれびに龍のまなざし秋澄めり

手を振って電車が行って虫の声

熱帯夜途中で帰る君の髪

海映ゆる君の眸の涼しさよ

『あんのリリック』前編

ドラマW『あんのリリック 桜木杏、俳句はじめてみました』。脚本・荒井修子、監督・文晟豪。原作小説にいくつものドラマを盛りこみ、見ごたえがあった。

原作でも象徴的だった〈優しさはときにはみ出し桜もち〉の句がきれいな導入である。

桜木杏(広瀬すず)、連城昴(宮沢氷魚)。そしてすこし悪者のハゲボウズ(板橋駿谷)。それぞれつよい性格で、社会的な浮き沈みをあたえられる。

桜木杏と出逢うまでの昴はもがいていた。「言葉がでてこないんです。俳句も仕事も、以前より楽しめなくて」

学生時代に俳句の賞を獲っていたが、広告代理店勤めに入ってからの句は「企業のキャッチコピー」と言われ、つくった広告は「俳句もどき」と評される。どっちつかずの、にごった心のなかにいた。

ふたりを結びつける小道具に、はちみつ。杏を誘った句会で詠んだ昴の〈竜天に登りはちみつ入りジュース〉が官能的なだった。

いつからかラッパー・ハゲボウズのゴーストライターとしてリリックを提供していた杏。前編でえがかれるのは、ハゲボウズとの訣別。

 ハゲボウズによる「才能の搾取」を、連城昴は杏のぶんまで憤る。余計な義憤が若さである。若い世話焼きが若い隠者に絡んで飽きない。それが十代二十代の恋のドラマだ。

 

川を見るバナナの皮は手より落ち  高浜虚子

 

木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ   加藤楸邨

 

俳味のある俳優をキャスティングして魅力的。桂雀々田辺誠一ふせえり荒川良々山口香緒里、吉田ウーロン太などなど。

原作で引用された句のほかにも多数登場して、よかった。

海を去るをんなのはだし修司の忌

溶岩の湧き出るごとく躑躅咲く

飛魚よつぎつぎ難破船越えよ

春コートかがやくものを追へば旅

銀漢を荒野のごとく見はるかす

蜂蜜の小瓶に満ちる夏の日よ

夕涼み何も問はざる友やさし

〈柱も庭も乾いている/今日は好い天気だ〉

中原中也記念館の企画『今、読む、中也。』配信視聴。出演は伊藤比呂美高橋源一郎。ゲストに、第26回中原中也賞受賞の小島日和。

 

近代詩と現代詩がいっしょに入ってきた高橋源一郎の十代。田村隆一吉本隆明中原中也ランボー

深刻ではなかった。それらの一節を、深夜ラジオのように楽しんだ。授業中に同級生が耳打ちしてくる。「ああ、家が建つ家が建つ」。

キャッチーで実用的な断片。

伊藤比呂美は、中原中也の顔がよかった。それもある種の実用かもしれない。その詩は、季節を取っ掛かりにして理解できた。「『秋』がわかったらどんどんわかったの。次にわかったのが『曇った秋』」

 

中也の魅力は「どこまでいっても落第した、劣等生だったところ」。

 

詩でいちばんだいじなのは「声」だと高橋源一郎が言う。そのひとの出自、バックグラウンド。「その人がうたうんだったらどんな曲でも良い」

「声を出せるようになるために僕らは書いてる」

 

その声でどこへ行くのか。

若い小島日和に、高橋源一郎はおしえた。

「物を書いている人たちが行きたい場所は地獄」

〈典雅なるものをにくみきくさまらを濡れたる蛇のわたりゆくとき  葛原妙子〉

現代短歌 そのこころみ (集英社文庫)

何年もかけて読了。関川夏央『現代短歌 そのこころみ』。いい本だった。2月26日に二・二六の箇所を読めた。斎藤史

 

巻頭は「斎藤茂吉の最晩年と青年時代の中井英夫」。

短歌ほろべ短歌ほろべといふ声す明治末期のごとくひびきて

    斎藤茂吉

 

「生活即歌、と誰が言おうと、歌はやはり余裕の産物である。生きることに追われていたら歌などできる筈はない。『けもの』は歌なんか作らない。生きるためだけに必死に生きている、そういう姿を純粋で美しい、と思うのもやはりよけいな思いこみなので、実際は陰惨というに近い」(石川不二子『わが歌の秘密』)

荒れあれて雪積む夜もをさな児をかき抱きわがけものの眠り

    石川不二子

 

「『戦前』という時代の残照──中城ふみ子と石川不二子」の章ではめいめいの、なにかとの衝突。石川不二子は農場に入り、自然や労働と向きあった。

〈石川不二子の人生と歌のほうが、その克己と隠忍の理想主義において、また折り目正しい保守的態度のあらわれという点において、中城ふみ子のそれより戦後的というべきなのであろう〉

この指摘が凄い。中城ふみ子は病や恋を過激にうたったが、そこには〈戦前の中流家庭育ちのセンス〉、〈安定した平和な時代としての戦前への郷愁のトーンがある〉と関川夏央は書いている。

中城ふみ子中井英夫と衝突した。編集者としての中井英夫は苛烈だった。いまでいうパワハラ。「五十首詠」そして歌集のタイトルにもなった『乳房喪失』は中井が推したもので、中城ふみ子には抵抗があった。

〈ふみ子は「乳房喪失」の題名を過剰と感じたのであるが、彼女自身もその過剰さを十二分に内包していた〉

〈見舞い客には、マックスファクターの化粧品で入念に衰えを隠したあとでなければ会わず、ときに病室に美容師を呼んだ。たびたび外出して男性とデートした。彼女は、「切断」した乳房を補うために、日本でもっとも早くブラジャーパッドを使った女性のひとりとなった〉

 

〈七月上旬の気分のよい日、ふみ子は自分の「死顔」の写真を撮った。目を閉じてベッドに横たわり、顔の右に歌集を、左にオルゴールの箱を置いた〉

 

出奔せし夫が住むといふ四国目とづれば不思議に美しき島よ

    中城ふみ子

〈しかしふみ子は、高松への転勤を願い出た夫や子供たちとともに移住したのであるから、「出奔せし夫が住むといふ四国」の歌は実人生とは異なった「物語」である〉

灼きつくす口づけさへも目をあけてうけたる我をかなしみ給へ

    中城ふみ子

草はらの明るき草に寝ころべり最初より夫など無かりしごとく

    中城ふみ子

中城ふみ子登場直後、歌壇の異常ともいえる反発を体験した中井英夫が、寺山修司を選ぶにあたって慎重であろうとしたのは自然なことだった〉

 

「僕に短歌へのパッショネイトな再認識と決意を与えてくれたのはどんな歌論でもなくて中城ふみ子の作品であった。(……)

僕はネルヴァルの言ったように『見たこと、それが実際事であろうとなかろうと、とにかくはっきりと確認したこと』を歌おうと思うし、その方法としてはふみ子のそれと同じ様に、新即物性と感情の切点の把握を試みようとするのである」(『短歌研究』1954.12「火の継走」)

 

〈村木道彦は一九七七年、三十五歳のとき一度作歌をやめている。

彼はその頃苦しみ、焦慮していた。苦もなく口をついて出た二十二歳の作品には強い表現力があった。あざやかなイメージが切りとられていた。だが、その後の作品には生彩がない。辛苦が成果につながらない。自分を「発見」してくれた中井英夫の言葉、「君は短距離ランナーだ」が刺のように心にささる。

村木道彦は、その頃ひたすら歩いた。疲労が「強固な自意識の弛緩剤と化すまで」歩いた。人工的に「忘我」の状態をつくりだそうとした〉

〈村木道彦の復帰には、俵万智の登場が刺激のひとつとなった。村木道彦らの世代につきまとっていた「大仰な身振や、大上段に振りかぶった構え」が、俵万智にはまったくなかった。それは明朗な驚きであった〉

疲れてはふたへまぶたとなるときに、春 重重し 春 燦燦(きらきら)し

    村木道彦

 

奔馬ひとつ冬のかすみの奥に消ゆわれのみが累々と子を持てりけり

    葛原妙子

〈一九四四年秋、三十七歳の病院長夫人であった葛原妙子は、空襲の危険が迫った東京・大森山王から軽井沢の山荘に三人の子供たちを連れて疎開した〉

〈十六歳になっていた長女を除き、三歳から十歳までの幼い子供たちとの疎開生活では、食糧難と冬期のすさまじい寒気に苦しめられた〉

活火山の火口吸ひゆく雪片のあなさびしあなすさまじくもあるか

    葛原妙子

葛原妙子のことを読むと心躍る。そしてその歌。

葛原妙子が「わたしの短歌を育てた人たち」と挙げたのは斎藤茂吉、齋藤史、佐藤佐太郎、坪野哲久、前川佐美雄、塚本邦雄梶井基次郎の小説も。

それを書き記したのは死の二年前であり、ほかの歌人ならば歌集にあるはずの師への謝意を一度も掲げてこなかった。関川夏央は類推する。〈単独行の勇気を養うために、つとめて「倨傲」たろうとつとめたかのようだ〉

丘陵に葡萄樹立てり 翳せり 涸れたる地の臍帯のさま

    葛原妙子

 

出口なき死海の水は輝きて蒸発のくるしみを宿命とせり

    葛原妙子

ばりばりと頭髪を塩に硬ばらせ死海より生れきし若者のむれ

    葛原妙子

 

 

飯盒の氷し飯(いひ)に箸さして言葉なく坐(ざ)す川のほとりに

    宮柊二

さまざまに見る夢ありてそのひとつ馬の蹄(ひづめ)を洗ひやりゐき

    宮柊二

亡き柊二あらはれ出でよ兵なりし君がいくたび超えし滹沱河(こだがは)

    宮英子

 

あなたは勝つものとおもつてゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ

    土岐善麿

 

 

隊列に巻き込まれたる警官の逃れんとして脆き貌しつ

    清原日出夫

 

 

愛こめてどうか不幸であるように君無き春の我無き君へ

    吉野朔実

佐野朋子のばかころしたろかと思ひつつ教室へ行きしが佐野朋子をらず

    小池光

 

 

〈消費こそ善という空気が日本社会に満ちたのは一九八二、三年頃だった。恐れられた「第二次オイルショック」がこともなく過ぎ、それっ、とにわかに消費意欲のみなぎった感がある〉

内需拡大の高いかけ声のもとに一躍先端的職業と認知されたのが「広告屋さん」で、「コピーライター」もまた脚光を浴びた。というより「一行何百万の商売」という功利的な憧れの対象となったのだが、その憧れと欲望が短文文化の見直しと投稿文学ブームを呼びこんだ〉

俵万智の登場である。

大陸に我を呼ぶ風たずさえてミルクキャラメル色の長江

    俵万智

 

〈短歌形式は「最終的に自己肯定に向かう」と見切った寺山修司は、それが不満で短歌を捨てた。しかし穂村弘にとっては短歌の「自己肯定作用」こそが救いと映った〉

終バスにふたりは眠る紫の〈降りますランプ〉に取り囲まれて

    穂村弘

 

 

濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ

    齋藤史

暴力のかくうつくしき夜に住みてひねもすうたふわが子守うた

    齋藤史

これが、齋藤史二十七歳。一九三六年の歌。

史の父、齋藤瀏は二・二六事件による下獄や大日本歌人協会設立の運動のために、晩年は孤立した。

明治大正昭和三代を夢とせば楽しき夢かわが見たりけり

    齋藤瀏