大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

「君、これは音楽だよ。日常ではないんだ。音楽の中に定価なんて日常用品が入りこんでいいものだろうか」  『ガラスの少尉』

戯曲 唐版 滝の白糸 他二篇 (角川文庫)

唐十郎『唐版 滝の白糸 他二篇』。収められているのは表題作と、「由比正雪」「ガラスの少尉」。

銀メガネ あたしは異化の旅を恐れ気もなく志していたのかもしれない。袋小路に追いつめた者達が、その風情を異口同音にののしった時、あたしは異化のほうきにまたがって、君と一緒に空を飛んでどんなに逃げおおせたかったことか。

 

    「唐版 滝の白糸」

十歳の少年・アリダをさらった銀メガネ。出所し、成長したアリダとゴースト・タウンで再会する。

「情念」を、どのように扱うか。ニンゲンの感情に根を張る「情念」は、明晰な言葉で論理的に語られたところでかんたんには説得されず、澱(おり)としてのこる。蒙昧で、強情な「情念」を置いてきぼりにしないために「詩」が要る。

「美しい人が錯乱するといつも杏(あんず)を思います」とか「こうして俺達は間もなくすべりだすジュウタンを待っているんじゃないか。空飛ぶジュウタンを!」と唐十郎はコトバで視覚を刺激する。今いる場所をズラしにかかる。

アリダの兄と心中未遂した、お甲がアリダに無心する。そのカネを銀メガネが狙う。さらには「クロレラ酵素を乳酸菌で味つけるのに成功した『羊水』」の販路を確保しようとする羊水屋、お甲と巡業する小人プロレスの一団が、アリダたちの「状況」を揺さぶってくる。

滝の白糸は水芸を披露する水商売の人である。その困窮と売血がするするとつながっていき、「復讐」という言葉が浮かびあがる。

情念が増幅し、水芸となって受け手を圧倒する。

 

次いで自由に創られた「由比正雪」。登場するのは柳生十兵衛、金井半兵衛、丸橋忠弥と夜タカ、かごかき、岡っ引。

柳生十兵衛は「剣にとって美とは何か」と悩んでいる。

半兵衛 悩む十兵衛など、俺は嫌いだ。

十兵衛 嫌いで結構。

半兵衛 おまえが悩んだところで歴史が変わるわけじゃあるまいし。

唐十郎の世界には半畳を入れる人物がいる。まともなことを言ってくるのだ。そんなことはわかってる。それでも妄念を抱えて突き進まざるを得ぬ「宿命」の愚かさが愛しい。

十兵衛 半兵衛、世の中は、決して、インサイダー、アウトサイダーと区切れぬことをよくおぼえておけ、俺のように、正道の表玄関に生まれながらも、裏道をゆくものだってこの世にゃいるのだ。

 

正雪 この川面の果てを見たまえ。この暗い沖が明日の江戸さ。大川端のらんちき騒ぎに花の吉原、それがいったい何の証しだと思われる。繁栄と貧困はすぐとなり合わせに坐っているものさ。巷には牢士がさまよい、今日の職、明日の職を求めて町の底はアビ叫喚。日雇い人足さえ浪人者は雇ってくれぬ。あぶれあぶれて江戸にゃ十万の浪人者がひしめきあっているのだ。

島原の乱を見てきたと由比正雪は言う。

正雪 天草一党の全滅は誰でも知ろう。しかし誰も知らぬ事実がある。それは裏切りだ。天草の全滅がわかるや否や死地に追いやられむごたらしく殺されたのは、功あらばとかけつけた浪人部隊よ。わかるか、これが権力の本体だ。これが江戸さ。俺は島原の戦場をかけめぐって何もかも見てきたのだ。あの島原の地獄ヶ原を知っているのはこの俺とからすのほかにいない。

忠弥 きさまは知らぬさ、島原を。

正雪 何といった?!

忠弥 幻想さ。

出自のはっきりしない由比正雪はフィクション向きの人物で、唐十郎ごのみだろう。天草とのつながりというような、由比正雪のデタラメに斬りこみながら己の嘘を半分まぜる。話がねじれる。ねじれて渦となれば物語は、昇りはじめる。

 

「ガラスの少尉」は典型的に唐十郎で、美しい。

ガラス工場で働くミノミのという名の少女は、インドネシアの森深くで眠るガランスでもある。工場の上司は森を探索する隊長だ。真実なる情念をもとめて時空を行き来する。

「立つ生が死として横たわり、横たわる死者が立って私たちをジャングルに案内するのです」と。

隊長 面倒くさい。何もかも面倒くさい。手にとるもの、開ける口、流しこむもの、何もかも面倒くさい。夜は更けて、月も傾こうというのに、ちくしょう、俺ののどの中では、あのお天道さまが燃えている。この悪寒、この悪寒の底で燃えている妙な夏。だれか、俺ののどに雪を降らせてくれ。菊田君、雪だ。南の島に雪だ。

 

少女 さあ、刺してごらん。予測を越えた不可抗力に。おまえに射ちぬかれてただれる胸の傷口にそれを刺し込んでこみあげる真っ赤な不可抗力に止どめをさしてしまえ。36度5分を絶対零度に。リンゴの匂いにまるわるさまざまな幻をただの悪寒に。あなたのためのガランスをミノミに。

「一晩で女性は堕落しますよ」

唐組・第71回公演『透明人間』。紅テント、靴を脱いでの桟敷席。観客ぎっしり。

テント芝居はプロレス観戦に似て、舞台に上がる人物たちに先ず感動する。『透明人間』の初演は1990年だから、しょうゆ顔ソース顔なんて言葉もでてくる。

岸田國士戯曲賞を『少女仮面』で受賞するのが1970年、芥川賞を受賞する小説『佐川君からの手紙』が1983年、鶴屋南北戯曲賞紀伊國屋演劇賞読売文学賞を獲ることになる『泥人魚』の発表が2003年であり、劇作の息はおそろしく長い。その都度、時代を反映している。

 

『透明人間』の登場人物。

田口…夏の保健所員

上田…田口と賭けをした女コロガシ

課長…狂った犬を探している小役人

合田…焼きとり屋の押し入れに住む犬との同居人

辻…時を駈ける調教師

モモ…焼きとり屋の煙に包まれたベロニカ

母親…マサヤを咬んだ男を追っている

床屋…保健所のタイコもち

出前…タヌキの出前先がわからない

歯医者…出張してしまった

白川…愛と孤独の女教師

モモに似た女…モモの人生に潜り込む

四人の客…飲んでいる時と飲んでいない時が分からない常連

マサヤ…女教師白川を支える巷の哲人

唐十郎より下の世代の小劇場ブームのノリとも通ずる悪童の軽快さがあった。マサヤ少年(升田愛)とノイローゼ気味の教師・白川の交歓は、かれらが桜を話題にしたからだろうか、広々として明るくてここがどこかを忘れてしまう。ほかの登場人物たちのようには宿命的でないぶん自由で、喜劇なのだった。

辻を演じた稲荷卓央もコミカルな登場だった。そしてじわじわと叙情と宿業を背負いはじめる。

「親の因果が子に報い」、だ。焼きとり屋のモモ(大鶴美仁音)と絡む現在の辻は亡父とおなじものを視はじめる。軍用犬の時次郎とモモ。モモが狂犬病でない証として、重りをつけたダリアを沼底まで取らせに行かねばならなかったこと。虐げられた全ての犬たち、また女たちはモモなのだ。けれどモモへの情熱は、時空を超えたものでもあるので「モモ」と「モモに似た女」も辻のまえではたやすく入れ替わる。

「透明人間」というのは社会からの「蒸発」であり、ソトから見れば「交換可能」な酷薄のあらわれでもある。若き保健所員・田口(岡田優)はそういう移行に抵抗する。

もともとは上田(全原徳和)の企みで出逢ったモモではあったけれど、辻の幻視に呑まれれば円環から抜けだせぬ。モモにも辻にも田口が必要だった。よじれていない。真っ直ぐである。

 

合田、久保井研。モモに似た女、藤井由紀。課長、友寄有司。マサヤの母、加藤野奈。ほかに重村大介、春田玲緒ら。

「あなたとの、考える日々は、私には限りなく楽しかった。そうして、それを続けたかった」  魚怪先生

扉座『Kappa 〜中島敦の「わが西遊記」より〜』見る。脚本、横内謙介

「夢」や「理想」という遙かで、みずみずしいものへの志向が中島敦にも横内謙介にもある。だからもちろん相性は好い。

横内謙介にとっての「夢」は演劇にあり、舞台をとおして語られるもの。執筆や俳優をめぐる物語だ。ゆえにコロナ禍以後、重たい題材が続いてきた印象だけれど今作はかなりくつろいだ調子ではじまる。岡森諦が「円形脱毛症ですなあ」と科白して可笑しく、扉座の世界に引きこみつつも、終盤は凛々しく崇高な一場となる。あ、こういうタネ明かしをするのか、あ、原作のここをラストにもってくるのかと横内謙介らしさを愉しんだ。

中島敦『わが西遊記』は「悟浄出世」「悟浄歎異」二篇から成る小説である。「悟浄出世」は沙悟浄が「渠(かれ)」と記される三人称、「悟浄歎異」は一人称の「俺」が孫悟空の心身にあこがれ、しかも悟空と三蔵法師の〈男色的〉――と、猪八戒の評する――結びつきを観照するだけの、なかなかにオクテなプラトンホモセクシュアルで、旧制高校・硬派・衆道・お稚児さんなど濃く匂う。

横内謙介は友情をえがく際にエロティシズムをもちこまないので「悟浄歎異」のほうは相当削るだろうとおもった。教養と男色性によって臆病になった悟浄的人物が、中島敦の小説のおもしろさだけど、そして自分とは何かと悟浄が問うてしまうのも若さのためでないとかんがえるけれども、『わが西遊記』から青春のみ抽出するのも方法ではある。

横内謙介にとって「変身」はケレンである。観客の期待があって、それを上回ってくるサービス精神だ。孫悟空猪八戒を叱咤するばめんがある。虎に変身せよと言う。そしてきちんと、春節の獅子舞よろしく二人がかりの虎が現れる。我々はおどろき、満足する。

 

孫悟空に、小川蓮。素直に若く、《火》の如き熱演。沙悟浄は有馬自由。謎多き魚怪先生には岡森諦。

猪八戒、犬飼淳治。三蔵法師、砂田桃子。

三蔵法師は言う。「我らの世界、決してどしゃ降りばかりじゃありませんよ」と。

第一期 B機関 ファイナル公演『毛皮のマリー』観る。

主宰の点滅はリーフレットの挨拶を、天正遣欧少年使節団の話から始める。

備忘のために全文引用しておく。

天正遣欧少年使節団は二年の歳月と命をかけて欧州に渡り

キリスト教の洗礼を受けた

同時期、同じく欧州を目指すも辿り着かず、或いは帰路に遭難し

歴史に名を残さなかった者達もいたのではないか

彼らの船は嵐に遭い海の藻屑と消える

或いは呂宋あたりの海岸洞窟にでも漂着し

そこを教会として布教活動をしたのかもしれない

もしくはすでに死んでいてその魂だけが彷徨っているのかもしれない

彼らの魂は太陽が沈むとこの『毛皮のマリー』という劇に興じる

朝日を浴びると消えていくその魂は永遠に救われる事はない

名も無き者達の煉獄の日々

今日も海に赤い夕日が沈む そろそろ開幕の時間である

・・・・・・

そんなこの戯曲とは全く関係のない妄想から私のマリーは始まりました

毛皮のマリー』で始まったB機関の舞台活動は『毛皮のマリー』で終幕します

愉しかった煉獄の日々ももう終わりです ありがとうございました

 

この、天正遣欧少年使節団というもののもつ、ひたむきな少年性もさることながら漂流のイメージに衝撃を受けた。舞台は海難を連想させてはじまる。吉村昭のいう「海洋文学」だ。冒険よりも苦闘に眼目がある。外の世界を知ってしまったスパイのようなものとして、居場所がなくなる。すべての選択は苦渋なしには済まされず、ずっとさまよう。

舞踏家・点滅の詩的で確かな世界を観て、さまざまな舞台で「海」がえがかれてきたことに気づかされる。俳優たちの足の裏、大地が海を夢みるのだろうか。舞台を構成する板が――板子一枚下は地獄――船上をおもわせずにはいないのか。

場末と幻想が入り混じった2時間30分。マリーに葛たか喜代、美少年・欣也に吉原シュート、美少女・紋白に蝶羽。

刺青の男 それにしても、マリーさん。あんたは、どうして女に変装したりするんだね? ちゃんとした男つうものがありながら

マリー それはあんたが刺青をしてるのと同じことよ。どうしてそんなものを彫るの? きれいな肌がありながら。(刺青の男、こたえない)ちゃんとした男でありながら、男であるだけじゃあきたらず、警察官を演じたり、船乗りを演じたり、思想家を演じたり、フットボール選手を演じたりする人がいっぱいいるのに、おかしいじゃありませんか。女を演じるのだけを、好奇の目で見るなんて。

丁寧で、幅広いキャスティング。クィアである。そして魂への理解がある。

マリーの前ではグッと抑えて無個性な下男を演った海津義孝も、ソロパートではあんな声色こんな演技とじつに自在で、懐かしくも頼もしい。

 

これまではマリーの哄笑、という印象がつよかったけれど、点滅の演出は少年少女に寄り添ったもの。美少年と美少女のほかに蛹(幼い妖精、ホムンクルスでもある)が登場する。舞踏家の由佳。薬液のような孤独と静かな自由だ。

美少年と美少女は、マリーの屋敷から逃げだそうとする。浴槽が航海のための舟となる。しかし寺山修司の好む話型は、脱出の失敗、失意である。戯曲のト書きに〈まるで催眠術にでもかかったように美少年、呆然として入ってくる。もはや、それは憑かれた人形にすぎない〉とあるとおり。

マリー さあ、坊や、町でとってもいいお土産を買ってきてあげました。

(とカツラをとり出して)これからおまえはとってもきれいな女の子になるんですよ。(と美少年の頭にのせる)

ほうら、よく似合う、あたしの思ったのとそっくりだ。

(と口紅をとり出す)

(ゆっくりとテーマがながれこんでくる)

さ、顔をあげて、お母さんの顔をよく見て(と言いながら、ゆっくりと化粧してやりはじめる。しだいに、美少年が美少女に変ってゆく……)

どうして泣いたりなんかするの?

坊や

おまえは今にこの世で一ばんきれいになるんですよ。

ここを全くの絶望としては、俳優たちに宿るクィアが報われぬし、B機関のファイナル公演でもある。どの科白にもぎりぎりの、切実なものがあった。傷つきながらも美少年・欣也は覚悟をするわけだ。それが観客へのエールともなり、美しかった。

出演はほかに由地慶伍、中村天誅、藤沼みどり、油絵博士、強口まゆか、高橋芙実、土田ななみ、柴崎莉良、中川朝子、kanako、大垣内正美、高橋未希。

 

 

 

どんなにものぐさになってもこれだけは映画館で

嘘八百 なにわ夢の陣』観る。監督、武正晴。脚本は今井雅子足立紳

お正月映画として定着しつつある三作目、すでに関係は構築できているので物語がぐんぐんうごく。

冒頭は、麿赤兒の紙芝居。こんなところから嬉しい。そこで語られる太閤秀吉のお宝にあこがれ絵描きとなったTAIKOHを演ったのが安田章大。かれの作品を売りまくる企業の代表に中村ゆり。凄い色気だが清潔感ある二人の関係を類推して観る。

ほかにも松尾諭升毅、高田聖子、笹野高史といったクセ者たちがあつまって、レギュラー陣の森川葵前野朋哉吹越満塚地武雅らと絡むのも楽しみだった。

 

TAIKHOはスランプに陥っている。かれのために秀吉のお宝が欲しい寧々(中村ゆり)は、古美術店主・小池則夫(中井貴一)が総合プロデューサーを務める「大坂秀吉博」にぶつけるかたちで「TAIKHO秀吉博」を企画する。陶芸家・野田佐輔(佐々木蔵之介)に贋作を依頼。野田の獲得戦となる。

 

大胆な脚本、達者な俳優たち。パンフレットは充実していた。

武正晴監督によると「総勢二十三人のクライマックスは、カメラの台数を増やして長回しで撮りました。リハーサルはせず、テストだけ。笹野高史さんが突然歌い出したり、友近さんがいきなり声をかけてきたり。中井さんも内心困惑したと思いますけど(笑)、そこを芝居で返しますからね。僕も俳優たちに動きの変更など個別に変化球を入れましたが、全員が見事に合わせてきました。これほどの手練れが揃っているなら、即興の芝居の方が面白くなるような気がします」。

脚本の今井雅子が〈知恵は掛け合わせると、複利で膨らむ。「秀吉博を二つにしては?」は足立さんのアイデアだ。秀吉博VS. 骨董コンビではなく、則夫と佐輔を別陣営に引き離して対立させる発想に膝を打った。そう言えば、このコンビ、出会ったときは相手を出し抜いて一攫千金を企んでいたのだ〉といった具合にあれこれ内幕をおしえてくれる。

作陶協力・指導/プロット協力の壇上尚亮、歴史監修・跡部信のコラムもおもしろい。今作は土とガラスが一体となった器が登場する。それぞれの観点からガラスを語る。

 

中井貴一は非常に前向き。「これからは“前に進むための夢”みたいなものを持っていこう、と。せっかくこの仕事をさせてもらっているのだから、こんな映画を作りたい、こんな役を演じたいというような、“夢を作る夢”を持っていきたいですね」

止まらないで 止まらないでよ 140人

ジャニーズカウントダウン 2022→2023』。

Hey! Say! JUMP「ファンファーレ!」(2019)からスタート。15周年ということもあるけれど、つづくなにわ男子「初心LOVE」(2021)とともにキラキラ、王道のアイドル感が嬉しい。

となればSnow Man。「ブラザービート」(2022)。そしてTravis JapanJUST DANCE!

」(2022)――このうごかしがたい並びにジャニーズの層の厚さをかんじてグッと来る。トラジャを観てるといくらでも泣ける。

ジャニーズWEST「Big Shot!! 」(2019)。事務所同様多士済々。美男が揃っている。

SixTONES「マスカラ」(2021)、A.B.C-Z「頑張れ、友よ!」(2020)。KAT-TUN「DON'T EVER STOP」(2008)Kis-My-Ft2Luv Bias」(2021)、関ジャニ∞「T.W.L」(2011)。ライブで観る横山裕かわいいなあ。NEWS「NEWS ニッポン」(2003)。

マリウスが卒業のSexy Zone「Sexy Zone」(2011)。感情が溢れる。映りこんだ松尾龍(Jr.SP)もふしぎとハマる。きょうはみんなメイクが美人だ。

King & Prince「シンデレラガール」(2018)が終わって年が明ける。

 

ジャニーズシャッフルメドレー。

「硝子の少年」(1997)をジェシー・岩本照、八乙女光七五三掛龍也松島聡宮田俊哉小瀧望西畑大吾。全員まじめで綺麗だった。

「Happiness」(2007)は伊野尾慧、増田貴久、平野紫耀目黒蓮、長尾謙杜、村上信五。〈走り出せ〉という歌詞ゆえに走る村上信五なのだけれども、さいしょに引きずりこむあいてにまじめな目黒蓮をえらび、上手い。長尾謙杜はかわいい。

「青いイナズマ」(1996)。さいしょは前列向井康二玉森裕太吉澤閑也。後列に森本慎太郎道枝駿佑横山裕。きれいどころである。

ミッドナイト・シャッフル」(1996)、髙地優吾、濵田崇裕、二階堂高嗣上田竜也丸山隆平、有岡大貴、田中樹、阿部亮平

青春アミーゴ」(2005)藤原丈一郎小山慶一郎松村北斗大倉忠義佐藤勝利・岸優太、渡辺翔太・川島如恵留。勝利✕岸に万感の思い。

「仮面舞踏会」(1985)。中島健人をセンターに北山宏光、知念侑李。宮舘涼太塚田僚一宮近海斗神宮寺勇太藤井流星、五関晃一。ここも抜群。

「Venus」(2006)は菊池風磨・ラウール、大西流星・橋本良亮、髙木雄也・横尾渉

「宙船」(2006)のセンターはマリウス、熱い。高橋恭平、中丸雄一、薮宏太、京本大我桐山照史中村海人。視認性の高い顔のひとたちだ。

「愛なんだ」(1997)は深澤辰哉、安田章大、山田涼介、重岡大毅、千賀健永、大橋和也

ファンタスティポ」(2005)には国分太一、井ノ原快彦も。佐久間大介戸塚祥太亀梨和也・中島裕翔。神山智洋・松倉海斗。神山、松倉のデュオとしての相性の良さ。シャッフルメドレーのおもしろさ。

トシオトコのうさピョンセブン! で「フラワー」(1999)。藤ヶ谷太輔加藤シゲアキ河合郁人中間淳太、永瀬廉、髙橋海人、松田元太。99年組には頑張ってほしい。

 

グループチェンジメドレー。

Hey! Say! JUMPが「Troublemaker」(嵐。2010)を。ジャンプの楽しさ、美しさで幸せな気持ちに。

KAT-TUNが「Imitation Rain」(SixTONES。2020)を。ここでのIMPACTorsがエモかった。踊りと、表現力と。

A.B.C-Zが「Keep the faith」(KAT-TUN。2007)を。

ジャニーズWESTが「LOVE YOU ONLY」(TOKIO。1994)を。「僕しかいない」のフキダシを黒衣がはこぶ演出がに唸る。

Kis-My-Ft2が「希望〜Yell〜」(NEWS。2004)を。

King & Princeが「ジェットコースター・ロマンス」(KinKi Kids。1998)を。

Snow Manが「koi-wazurai」(King & Prince。2019)を。

なにわ男子が「ウィークエンダー」(Hey! Say! JUMP。2014)を。キラキラの親和性。

関ジャニ∞が「初心LOVE」(なにわ男子。2021)を。いくつになってもキラキラ。

Travis Japanが「MUSIC FOR THE PEOPLE」(V6。1995)を。揃ってる。泣く。

SixTONESが「夢物語」(タッキー&翼。2003)を。ジェシーの眼が泣いている。

 

待ちに待った次世代ジャニーズメドレー。

Aぇ! groupが「ズッコケ男道」(関ジャニ∞。2007)を。

HiHi Jetsが「Everybody Go」(Kis-My-Ft2。2011)を。

Lilかんさいが「ええじゃないか」(ジャニーズWEST。2014)を。

少年が「White Love」(Hey! Say! JUMP。2017)を。なすりゅ。佐藤龍我の楽しそうなステップ。那須雄登のしっとりした振り。

 

Sexy Zoneの「RUN」(2020)。

NEWS「weeeek」 (2007)。Jr.SPはフェアリータイプの跳躍力。

KinKi Kidsは「Amazing Love」(2022)。ふぉ〜ゆ〜と。

 

ラストはみんなで「WAになっておどろう」(1997)。

ひとつの場所の行間、余白。

『ショウ・マスト・ゴー・オン』。初演は1991年。脚本・演出、三谷幸喜

代演がつづき、公演中止の日もでた令和版。配信も一度は中止になってからの、追加公演と、配信。

ワン・シチュエーションのコメディ。舞台となるのは「舞台の現場」。といって舞台上でなく、稽古場でもなく。「本番中の舞台袖」である。このアイデアによって、今作は独創的な古典たりえているわけだ。

そこに小ネタを散りばめて、丁寧に回収していく。複雑な展開は必要ない。

人物の性格や関係もはっきりしている。それで俳優は演技の甲斐があるし、代演でニュアンスが変わってきたりもする。

 

鈴木京香が演じる予定だったのはドライというか昔気質の舞台監督。厳しくはあるが抑制的で、けっして私情をもちこんだりしない。と、観ていると若いダンサーの恋人がいるらしく、次回作の小道具として編んでいるかとおもわれた赤いマフラーは彼のためだったとか、カネを無心されているとかのプライベートな部分がぽろぽろでてくる。これを三谷幸喜が代演した。

台本がしっかりしているぶん、ゲイの恋愛も強度をもつ。マフラーだって、三谷幸喜が編んでいれば仕事なんだな、なるほど次作の小道具なのかと納得してしまう(鈴木京香だったら「実は、恋人のために編んでいる」という匂いをさせたことだろう)。

配信回(と、千穐楽)における舞台監督はゲイであり、二股や恋愛の萌芽や友愛が凄い。三谷幸喜作品のホモソーシャルは90年代的で、やおい、BLを許容するようなところがある。

マクベスマクベス夫人兼マクダフという無茶苦茶な主演俳優(たびたび自信喪失する。酒に弱い)を演じる尾上松也を抱きしめて励ます。さいご、恋のけはいが生まれるのは、三谷幸喜がダンサーの小澤雄太に逃げられるからで、その行き先も若い女というのが妙にリアル。それも身内だ。新人の裏方(秋元才加)。

ゲイの舞監によく馴れた中堅スタッフにウエンツ瑛士。旧知の仲の道具方は新納慎也。この辺りのBLも想像力次第だろう。ウエンツと三谷は大いにある。

警備員、そして医者役で浅野和之。舞監の叱責(パワハラ?)で来なくなってしまった若手の父親を演じたのは小林隆。息子の代わりに働かせてくれというショウ・マスト・ゴー・オン具合も可笑しいが、なにしろ好演だった。

マクベス夫人役を降ろされて門番というシルビア・グラブの印象は鮮やか。役がなくなった男に大野泰広。皆に差し入れを配りまくる峯村リエ。舞台が専門ではないのに演出家ダニエル(秋葉原に行って迷子)への報告書を作成すると力む通訳は、井上小百合

社長、中島亜梨沙。ピアノ、荻野清子。原作者役に今井朋彦。チラシの電話番号が間違っていたせいで迷惑を被ったという男に、藤本隆宏